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益田ミリさんの「女湯のできごと」

久しぶりに益田ミリさんの本、「女湯のできごと」を読みました。

益田さんはの実家は大阪の団地で、家にお風呂がなかったために、実家暮らしの間(大人になるまで)は銭湯に通っていたそうなんです。

その銭湯通いの中でのいろんなエピソードがちりばめられている楽しいエッセイです。

私の銭湯の思い出

私も小さい頃住んでいた家が父の会社の社宅で、公団みたいなアパートでお風呂がありませんでした。

なので、益田さんほど銭湯通いのプロ(?)ではないのですが、「私の銭湯の思い出ってなんだろう?」と考えてみたところ、ひとつだけ思い出したことがありました。

お婆さんの裸

銭湯には子どもだけでは行けないので、大体母親と行きます。

私が銭湯に行く時間帯は、大体幼稚園から小学3~4年生くらいの子どもが多く、なので、そのお母さん達も30歳前後~40代前半くらいだったのではないかと思います。

そのお母さん達の裸をじろじろ見ていたわけでは決してないのですが、太ってたりやせてたり、背が高かったり低かったりなどの個人差はあれど、みんなまだまだ胸やお尻はそれなりに張りやふくらみがあったような気がします。

子どもながらに、「大人になると女の人の体ってこうなるんだ」と素直に感じていました。

そう感じていた子どもの私が衝撃を受けたのが、お婆さんの裸。

だって、お母さん達の裸とは明らかに違うんですから。

お母さん達の「それなりの張りとふくらみ」に対して、お婆さんは「しなしな~」みたいな。

子どもの私にとっては、その差があまりに激しかったので、「一応人間の性別の分類としては両方とも『女性』だけど、もしさらに分類できるならその分類は分けた方がいいんじゃないか?」と思うほどでしたね。

「女性類-お母さん群」と「女性類-お婆さん群」みたいな?

まず、お尻

小さな子どもの私にとってまず強烈だったのは、そのお尻。

私達子どものお尻はもちろんぷりぷりの桃のお尻ですが、お母さん達のお尻も、多少垂れ気味ではあってもそれなりに丸みがあったような気がします。

それに対してお婆さんのお尻は、なんというか、重力のままに好きなだけ垂れ下がり、そして皮膚もたるんでいるので、その垂れ下がった位置に複数のシワが。

こんな感じでしょうか。

やせてるお婆さんもぽっちゃりしたお婆さんも、大きさこそ違えど、みなさんこんな感じのお尻だったような気がします。

そして胸も

当然垂れるのはお尻だけではなく、体の皮膚全部がたるんでいるので、重力に逆らえず垂れてしまいます。

なのでもちろん、胸も例外ではありません。

お母さん達の胸は、多少位置が下がったり大小の差はあれど、まだおっぱい自体はそれなりに中身は詰まっていて、さわるとぷよぷよして気持ち良さそうな感じ。

そう、それは「おっぱい」と呼ぶにふさわしい形状をしているんです。

ですが、お婆さんの胸は明らかに違います。

もうそれは「おっぱい」と呼べる代物ではなくなっています。

なんか、冷蔵庫の片隅で、しなびたきゅうり?または、なすび?みたいな感じ。

乳房自体の中身がスカスカで、それを覆う皮膚もたるんでいるので、胸の位置もかなり下の方。

たとえるなら、こんな感じ。

子どもの私にとっては、「自分の母親もいつかこうなるのか?」と一瞬頭をよぎりましたが、その頃の母(おそらく30代前半くらい)とあまりに違うので、「うちの母はいくらなんでもこうはならないだろう」と思ったような気がします。

あぁ、お婆さん達、ほんとにごめんなさい!

何もわからない無邪気な子どものことだと思って許してやってください。

益田ミリさんの感じる「お婆さんの裸」

ちなみに益田さんは、「女湯のできごと」の「女湯のお婆さん ― 長い人生」という件の中で、お婆さんの裸についてこんな風に書いておられました。

「子供時代に通っていた銭湯ではなんにも感じなかったのに、大人になってからのわたしは、お婆さんの裸が少し怖い。~中略~ どうやっても逆らえない老いというものが怖いのか、いつか自分が死んでなくなってしまうということを思い出させるので怖いのか。」

「銭湯でお婆さんに会うたびに、いつもわたしはこんなふうに死について考えずにいられなくなる。と同時に、長生きしているお婆さんたちが羨ましいと強く思う。」

「お婆さん達のしわしわの裸は、いわば長生きしている証し。わたしが手に入れられるかどうかわからない『長い人生』というものを銭湯で間近に見せつけられて、歯ぎしりするくらい羨ましくなる。」

「ああ、わたしも、お婆さんボディになるまで元気でいたいものだなぁ~。」

益田さんは子どものころはお婆さんの裸はなんとも思っていなかったようなのですが、大人になってからは死を連想していたんですね・・・・

子どもの私には、「死」というものは非現実的すぎて1ミリも想像できませんでした。

それよりもなによりも、しなしなのお尻と胸、衝撃でしたね~

そして時は流れ・・・・

そして時は流れ、あれから50年以上経過した現在、私のお尻や胸は、私がビックリしたあの頃のお婆さん達のしなしなのお尻や胸に近づきつつあります。

時は本当に残酷です・・・・

今の私は重力のままに下がるお尻をなんとか最小限に食い止めようと、日々ストレッチ&筋トレに励んでおります。

しかしです!

そうやって、老いに抗っている私よりも、なんだかあの頃のお婆さん達の方がよっぽど潔く思えてきました。

お婆さん達は自然の流れに身をまかせ、お尻も胸もあるがまま、どこまでも垂れようが、しなしなだろうが、他人にどう思われようとどこ吹く風。

かたや、重力で下がったお尻がこれ以上下がらないように、無駄な(?)抵抗を続ける私。

大人になってから、お婆さんの裸を目にすることはないけれど、大人になってからも銭湯に通っていた益田さんの「お婆さんのしわしわの裸を羨ましい」と思う感覚、なんだかちょっぴりわかるような気がします。

お婆さんボディになるまで

あぁ、ですが!ですが!

若輩ものの私は、まだその神の境地には達していないのですぅ!

できれば、お尻や胸の垂れは少しでもくい止めたい!

お婆さんボディの域に達するのは、出来る限り先にしたい!

その領域に達するまでは、今日もルーティンのストレッチと筋トレを頑張っております。

そして、「もうここまでがんばったからよしとしよう」と思えたその暁には、なすがままのお婆さんボディを思いっきり楽しみたいと思います(笑)