益田ミリさんの「キュンとしちゃだめですか?」、最後の「キュン」は、折りたたみ傘です。
朝顔のつぼみのよう
益田さんは、きれいにたたまれた折りたたみ傘を、美しいもののひとつにカウントしていると書かれています。
「ひとつひとつのヒダをぴんと伸ばし、最後にくるくると巻きつけホックでとめる。たたまれた後の傘は、まるで朝顔のつぼみのように静かなシルエットをしている。」
言われてみるとそうですね。
折りたたみ傘をキレイにたためた時って、なんかすっきりするし、逆に急いでたたんでそのままになってて、いざさそうとした時に、ヒダの折り目がグチャッとしてると、一瞬気分が下がるというか。
そういうのありませんか?
朝顔のつぼみどころか
そんな風に美しくあるべく折りたたみ傘なのに、その美しさを完全に無視してぐちゃぐちゃに折りたたんでいる人、特に男子。
例えば、
「急に降り出してきた雨に、『あ、ぼく、傘持ってますんで』カバンからごそごそと取り出した折りたたみ傘を見てみれば、朝顔のつぼみどころか、広がってしまった松ぼっくり。」
いやぁ、このくだりを読んで、思わずクスッと笑っちゃいました。
この、朝顔のつぼみどころか、広がってしまった松ぼっくりっていう部分、益田さん、秀逸!
可憐ではかない「朝顔のつぼみ」を想像していたのに、出てきたのはずんぐりしたシルエットで色も地味な茶色の「松ぼっくり」。
「松ぼっくり」の「ぼっくり」っていう響きも、なんともいえない鈍さというか、どんくささが感じられて、いい味出してます。
益田さん、ナイス!
大人の持ちものなのに・・・
益田さん、そんな松ぼっくりの折りたたみ傘の男子に、
「やれやれと思いつつも、ほんのちょっと微笑ましい。こんなにでたらめにたたんじゃって。きれいにたたむの、面倒くさかったんだなぁ、それとも上手にたためなかったのかなぁ。」
益田さんは、子供のころ、折りたたみ傘は子供にはまだ早いとなかなか買ってもらえなかったそうで、折りたたみ傘は大人の持ち物と感じていたそうです。
(確かに・・・・。私も子供の頃、私がどうやってもキレイにたためない折りたたみ傘を母がささっとキレイにたたむのを見て、『どうやったらあんなに素早くキレイにたためるんだろう?』と不思議に感じてました。)
それなので、そんな大人の持ち物の折りたたみ傘を、子供みたいにしわくちゃにたたんでいる大人の男子にキュンとせずにはいられない、とのこと。
ちょっとわかる気もしますが、これって、たぶんに母性本能をくすぐられるってヤツですかね。
でも、相手にもよりますよね。
なんか、シュッとした人(シュッとした人って、イメージわかりますか?)が、カバンから出した傘が松ぼっくりだと、そのギャップにキュンと来るのはわかるような気もするけど、逆にその人自体が松ぼっくりみたいなもっさりした人だったら、松ぼっくりが松ぼっくり持ってるみたいで、絶対「キュン」とは来ないんじゃないかなぁ。
キュンは意外性やギャップから
思うに、「キュン」と来る条件て、意外性とかギャップを感じる時なんじゃないかな、という気がします。
いつも完璧な人、自分よりも優れていたり、センスがあると思っている人が、ふとした拍子に見せる失敗やちょっとダサかったりする一面にキュンとしたり。
または、逆に(最初のキュンのエピソードのように)中学生のような自分より目下、立場が下の男子が、相手の女性を気遣ってくれたり、礼儀正しかったりしても、キュンとしますね。
ということは、松ぼっくりの男子でも、朝顔のつぼみの折りたたみ傘を持っていれば、キュンと来るのか?
うぅん、どうかなぁ・・・・。
それはやっぱり違うような(苦笑)。