以前から読みたいと思って、図書館で予約していた、阿川佐和子さんの「年とる力」を読みました。
さらに親近感が!
阿川佐和子さん、私より少し上の世代だということはなんとなく知っていたのですが、ウィキペディアで見てみると、1953年11月1日生まれで、今年73歳、私より9歳上でした。
9歳くらい年上なのは、「やっぱりそのくらいかぁ」って感じなのですが、なんと誕生日が私の母と同じ11月1日でした。
前から阿川さんには好感を抱いていたのですが、なんだかさらに勝手に親近感が湧きました(笑)
「そうそう!」と共感しきり
9歳上、ということもあり、おそらくこの本に書かれていることはこれから私が通る道、のことばかり。
ですが、既に「そうそう」とか「うんうん」とか、うなづけることも多いです。
特に第3章の「老いてゆくカラダ」の中では、シワとか瞼の垂れとか髪の毛とか、73歳でなくても50代くらいから気になることばかりです。
また、第2章の「七十にして始める」も、私の場合まだ70歳には少し間がありますが、「うんうん、わかる、わかる」という内容でしたね。
具体的には、50代後半で始めた乗馬、60過ぎて始めたピアノは、今も細々と続けており、どちらもこの年になっても新しい経験や発見、この年になっても練習すればできるようになる喜びを感じさせてもらっています。
幸せなことです。
認知症について
そんな感じで、「うんうん」「そうそう」と言ったり、「へぇ~、そうなのかぁ」とひとりごとを言いながら楽しく読んでいたのですが、第1章「今日が幸せならば、それでよし」の阿川さんのお母さんについて書かれている「認知症を悲観したら損をする」のくだりでは、少ししんみりしたり、母のことが思い出されて時々涙が浮かんだりしながら読ませてもらいました。
認知症の初期のつらさ
阿川さんのお母さまは80代に認知症になられたそうなのですが、それがわかった頃は家族じゅうがショックを受けたそうです。
初期の段階なら治すことができるのではないか、と色々試みるも効果は現れず、イライラし、「母は壊れて別の世界へ行っちゃった」と悲しく辛く、ついお母さまを責めてしまっていたそう。
そして、穏やかだったお母さまが頻繁に泣いたり怒ったりするようになり、家族との衝突が絶えなかったとも。
この感じ、よくわかります。
うちの母ももともとおっとりした穏やかな性格で、人に厳しくあたったり怒ったりすることはめったにありませんでした。
そんな母でも、認知症の初期の頃は性格が少し変わったような症状があって、少しのことで怒ったり、感情を露わにすることが目立つ時期がありました。
そしてこの頃は、忘れることが多くなっていくことを、きっと自分自身も意識できていたのだと思います。
悲しそうというか、情けなさそうというか、なんともいえない切なそうな表情で「バカになってしもうた・・・」と、母が何度か言っていたのを覚えています。
色んなことを忘れたり、これまでできていたことが少しずつできなくなる、そういう今までの自分ではなくなっていくことを認識するって、きっと母はものすごく不安でつらかっただろうと、今思い出しても、私もつらく切ない気持ちが蘇ります。
物忘れは進んでも・・・
阿川さんのお母さまの話に戻ります。
家族との衝突はあったものの、もともと素直で明るい性格のお母さまはものを忘れる度合いは増していきつつも、家族との関係は取り戻せていったそうです。
そして、阿川さん自身も認知症について学習され、「認知症を治す薬はない」ことを専門家から聞き、そうであれば昔のお母さまに戻すのではなく、忘れるけれど明るいお母さまと向き合い、今のお母さまの気持ちを大事にする方がよいのではないか、と思うようになります。
お母さまの方もご自分の記憶力が低下していくことを以前ほど苦にしなくなったそうです。
これもよくわかります。
私の母は、施設に入った頃から感情の起伏はややおさまったような気がします。
もちろん、全く平穏無事なわけではなく、私が面会に行って帰ろうとすると「私も一緒に帰る」と言ってきかなかったことも何度かありました。
ですが、自分の物忘れのひどさを嘆くようなことはなくなり、当時の入居者の中では母は比較的若手で、認知症とはいえ初期で、足腰もしっかりしていたので、よく職員さんの作業のお手伝いをしたりしていましたね。
職員さんに「お手伝いしてくれて助かるわぁ」と言ってもらうことで、自分も何かの役に立てているという達成感みたいな感情も味わえていたのかもしれません。
お母さまの微笑ましいエピソード
そして、阿川さんのお母さまの微笑ましいエピソードがあります。
ここから引用です。
「母さん、なんでも忘れちゃうなぁ」
そう言うと、たちまち口を尖らせて、
「あら、覚えていることだってあるもん」
「じゃ、何を覚えているの?」
聞くと、またしばし考え込んだあと、
「なにを覚えているか、今、ちょっと忘れた」
なかなかトンチの利いた答え方をするのです。
なんともステキなお母さまだと思いませんか?
こんな粋な答え方、普通、なかなかできませんよ。
お母さま、座布団10枚、いやそれ以上の見事さです!
この時のお二人のやり取りが目に浮かぶようで、阿川さんのお母さまが素直で、無邪気で可愛らしい方だということが伝わってきます。
今日が楽しければ
そして、次が最も私が共感した部分です。
昔のしっかりしたお母さまではないけれど、今さっきのことを忘れても、自分(阿川さん)の名前を忘れてもそんなことはどうでもいい。
お母さまは、いろんなものを見て聞いて感じて、今この時を間違いなく生きている。
阿川さんは、お母さまが生きているだけでありがたいと思うようになったそうです。
以下引用です。
昔の母はもういないなんて悲観している場合ではない。今の母と付き合うことをこちらも楽しまなきゃ、それこそあとで後悔することになる。今日が楽しければ、それでじゅうぶんじゃないか。そんな心境に至ったのです。
この心境も100%共感です。
東京に住む叔母に、母の状態を時々連絡していたのですが、ある時、叔母が悲しそうに「そんな状態になったのね・・・・」とぽつりと言ったんです。
その時、私の口から出たのは「どんなになってもママはママよ!ママはかわいそうなんかじゃないから!」という言葉。
もちろん叔母は悪気があったわけでは全くなく、元気だった頃の母を思い出して悲しくなりつい出てしまった言葉だということはわかっていました。
なんですが、うまく言えないのですが、認知症が進んで色んなことを忘れたり、認識できなくなっても、変わらず母は私の母で、私のことも母なりに気にかけてくれている。
この先、症状が進み、私のことをわからなくなっても、それでも母は私の母であることには変わりありません。
どんな状態になってもその時の母にできることがあり、そして、お互いが通じ合っていることを少しでも感じられればそれで十分だと思うのです。
私との会話の中で、母が笑顔を見せてくれたりすると、もうそれだけでその日は幸せです。
阿川さんのおっしゃるように、その時その時できることをやり、母との時間を大切に楽しむこと。
そうすることで、最後に「もっとああすればよかった」「こうもすればよかった」という後悔をできるだけしなくてすむように。
私が、ずーっとそう思い、できる限りそう行動してきたことです。
ただ、これは、母の一番近くでずっと見守り、寄り添ってきたからこそそう思えるのかもしれません。
遠方に住みなかなか面会に行けない立場であれば、自分の記憶の中の昔の母と知らされた現実を比べて、悲観してしまうのも無理もないのかもしれません。
そう思うと、2018年の8月に仕事を辞め、東京から実家に戻ってきて、母のそばに寄り添う決断をして本当に良かったです。
この8年間に、悔いはありません。
最後にもうひとつ、新鮮な気づきが!
最後にもうひとつ、新たな気づきをもらいました。
それは、第5章「最期に向けて」の中の「高齢者初心者マークをつけよう」のくだり。
阿川さんが歌手の瀬川瑛子さんにお会いした時のエピソードです。
瀬川さんは阿川さんより少し年上だそうなのですが、今でも高いヒ―ルのパンプスを履いて、きれいな色のドレスで颯爽とされている。
その若々しい姿に、「お体はどこも悪くないのですか」と声をかけた阿川さん。
すると、瀬川さんは「あちこちボロボロで、少し前にお尻がものすごく痛くなってびっくりした」と。
そして次のように続けられます。
以下引用です。
「なにしろ私、年をとるのが初めてだったから、なんでこんなに痛いのか、わからなかったの」
これを聞いた阿川さん、なんと新鮮な響きか、と笑い転げたそうです。
いやいや、瀬川さん、ほんとそれ!
誰しも年をとるのは初めてですもんね。
初めて経験することや、わからないことがあって当たり前なんです!
そう思うと、なんだかちょっとウキウキした気持ちになってきちゃいました。
だって、まだ経験したことのないことがこの先も待っているわけですよ。
ま、それが楽しいことの方が少ないとは思いますが、モノは考えよう、老いも楽しめるようになればこっちのものです(笑)
これぞまさにタイトルの「年とる力」なり!
ワタクシ、来年は65歳、いよいよ高齢者の仲間入りです。
私の少し先を歩く、先輩の阿川佐和子さんの書かれた「年とる力」、なかなか面白かったです。
同世代の皆さま、お時間があれば是非図書館で予約して、(あ、もちろん購入しても)読まれてはいかがでしょうか。
「そうそう、そうなのよ」とか、「うんうん」とか、「なるほどねぇ~」とか満載ですよ。
ふふふ・・・・