内舘牧子さんの「老害の人」を読みました。
この「老害の人」の前に、「高齢者3部作?」として、
が出版されています。
これまで3作とも読んでそれなりに考えさせられることがあったので、これらに続く「老害の人」も読んでみたいと思い、図書館で予約してました。
それにしても、タイトルがスゴイ。
「老害」、インパクトある言葉ですね~(苦笑)
神様のいるお山へ・・・
このすさまじいタイトルが表すとおり、周囲の迷惑顧みず老害を撒き散らす高齢者たちと彼らをとりまく家族(高齢者の子=中年世代、孫=若者世代)の物語で、いろんな「老害あるある」がちりばめられていて、時々クスッと笑いながらサクサク読んでいけます。
この老害軍団(笑)の中に、ご主人の趣味が俳句、奥さんが水彩画、まわりからは「夫婦揃ってど素人の下手っぴ」と思われているのですが、本人達はお互いの腕前を信じて疑わず、外野の声は全く耳に入らず。
自分達だけでほめあうだけならまだしも、自費出版した自分達の句集(ご主人の俳句に奥さんが挿絵したもの)をまわりに配り、迷惑がられている老害夫婦がいます。
そんなちょっと困った老害夫婦なのですが、憎めないのは夫婦仲が良くともに明るいこと。
そして奥さんは、死ぬことに対してほとんど恐怖を感じていないようで、「死ぬってことはこの世での仕事が済んで、神様が戻って来させるだけのことだって。神様のいるお山に引っ越すだけのこと」と、事あるごとに周りのネガティブな老人達に言い諭しています。
だから、死ぬことはそれほど悲しくも淋しくもないんだそう。
永遠のお散歩に出かけた父
この言葉を見たときに、父が亡くなった数年後に読んだ益田ミリさんの「永遠のおでかけ」を思い出しました。
それは、益田ミリさんがお父様を亡くされたときの心情を綴ったもので、「心の中に穴があく」という言葉を使った次のようなくだりがあります。
「最初はその穴の前に立っているだけで悲しいのだが、しばらくすると、その穴を少しずつ降りていくことができる。あんなこともこんなこともと懐かしみ、また後悔しながら少しずつ深く降りることができ、しばらく穴の中でじっとしていられるようになる」
このくだりを読んだ時の私の気持ちは・・・・ ↓ (私が書いたブログの記事の抜粋)
私の場合の穴は思い出の穴というよりは、ずーっと進んでいくとその先には父がいると思われる穴、でも、その穴は永遠に私には入って行けない穴なんです。
今でも父が死んでしまったという感覚がない、というと嘘になるのですが、正直、すごく遠いところではあるけれどどこかにいるような気がするんですよね。
どこかにいるんだけど、私は決してそこには行けない、そんな感じなんです。
それが、私の中の心の穴なんでしょう。
益田さんは、少しずつ深く降りていけるようになって、穴の中でしばらくじっとしていられるようになる、と書いておられますが、私の場合は、穴が少しずつ少しずつ、ほんとに少しずつ小さくなっていくような感覚があります。
穴が大きくても小さくても、私は穴の中には入っていけないのですが、穴が小さくなるごとにどんどん父が遠く離れていくような気がします。
いつか、穴が完全に埋まってしまう時がくるのかなぁ・・・?
いや、どんなに小さくなってもずっと穴はあいたままのような気がします。
どこまで行ってしまったのやら、うちの父は。
そんな感じです。
まさに「永遠のおでかけ」なんです。
益田ミリさんの「思い出の心の穴」なのか、老害奥さんの「神様の住むお山」なのかはわかりませんが、父が亡くなって8年以上たった今でも、亡くなったというよりも、父はどこか遠い遠いところへずっと行ったっきりなんです。
そして今では悲しいという気持ちはかなり風化し、「(お酒が好きだったので)どこかで誰にも遠慮せず酒盛りでもしてるんだろうなぁ」と思ったりします。
神様の住むお山では酒盛りはできないような気がしますが・・・・(苦笑)
母の期待にはこたえられそうもなく・・・・
ここでふと母のことを考えてしまいます。
たぶん、そんなに遠くない将来、母ともお別れの時がやってきます。
母が亡くなった時、私は自分がどんな精神状態になってしまうのか、正直、想像がつきません。
少しずつ、体力や認知力が衰えていく母、それはどうあっても悲しいことなのですが、一方で母から私への思いやりのようにも感じています。
突然お別れするのではなく、少しずつ衰えていくことで、母は私にその時の覚悟や準備の時間を与えてくれている、「その時が来てもありのままをしっかり受け止めて、きちんとお別れができるよう準備しておきなさい」そんな風に母から言われている気がしています。
ですが、正直、いざ母の死に直面すると、きっと深い深い大きな大きな心の穴が空いてしまうのでしょう。
母の期待にはこたえられる自信は、ほとんどありません。
それでも、いつか必ずやって来る母とのお別れ。
それを受け止めて、母との思い出を懐かしみながら、心の穴が少しずつ小さくなっていく、どこか遠いところに行ってしまったと静かに思えるようになる頃、私はいくつになっているんだろう・・・・・
そんな弱気な私に「私がいなくなって一人になっても、自分で選んで自分で行動して好きなようにしっかり生きて行きなさい。これまであなたがそうして来たように」と母は言うでしょう。
私の母はそういう人です。