以前に東京オリンピックが終わったことを書きましたが、パラリンピックも終わって既に数日、これで「東京2020」も終わりましたね。
2021年の夏もそろそろ終わりが見え始め、ちょっと淋しいです。
あぁ、今年も私の夏が行ってしまう・・・・(笑)
車椅子ラグビーと車椅子バスケットボール
これまではほとんど見たことがなかったパラリンピックですが、今回は自国開催だったり、会社勤めを辞めて昼間家にいたりで、いくつかの競技を見ました。
その中で興味をひかれたのは、車椅子ラグビーと車椅子バスケットボール。
私はこれまで通常競技のラグビーやバスケットボールはあまり見たことがなかったので、車椅子ラグビーも車椅子バスケットボールも最初は何気なく見ていたのですが、想像以上のスピード感と激しい選手の動きにビックリ!
いつのまにか夢中になって見てしまってました。
通常のラグビーやバスケットボールより面白いんじゃないかと思うほど。
通常競技のラグビーやバスケットボールはあまり見てないのに、偉そうでスミマセン(苦笑)。
アスリートのコメント
そんな中、アスリートのコメントを聞いていて気づいたことがあります。
オリンピックアスリートのコメント
オリンピックのアスリートのコメントで「勇気や感動を与えたい」的なコメントを、時々聞くことがありませんか。
このコメント、言いたいことはわかるんですが、個人的には「与える」という言葉がひっかかってました。
というのも、「与える」って、私的には、なんだか上から目線のようなニュアンスが含まれているように感じてしまうんです。
で、辞書を確認すると、いくつか意味はありますが、この場合、
- 自分の所有物を他の人に渡して、その人の物とする。現在ではやや改まった言い方で、恩恵的な意味で目下の者に授ける場合に多く用いる
- 相手のためになるものを提供する
- 影響を及ぼす。相手に、ある気持ち・感じなどをもたせる
などの意味があてはまりそうです。
私が上から目線と感じてしまうのは、1の意味合いととらえているからかもしれません。
もちろん、アスリートの方たちは1のような意味合いではなく、自分のパフォーマンスが誰かのためになってくれればうれしいという純粋な気持ちであることは理解しています。
ただもしかしたら、「与えたい」じゃなくて「伝えたい」だったら、それほど違和感はなかったのかなぁと思ったりします。
パラリンピックアスリートのコメント
で、今回パラリンピックの競技を見ることで、パラリンピックアスリートのコメントを聞く機会もいくつかありました。
競技を終えてのコメントでは、オリンピックアスリートと同じように、ほとんどの方が自分のパフォーマンスや、大会が開催されたことや支えてくれた人への感謝の意を表していたと思います。
ただ、競技前や大会に臨む期間中でのコメントでは、パラリンピックアスリートのコメントには、「勇気や感動を与えたい」的なコメントはほとんど聞かれなかったような気がします。
うぅ~ん、これって何なんでしょうね。
私が見たアスリートがたまたまそういうコメントをしなかっただけなのか、どうなのか・・・?
自分なりに、なぜなんだろうと色々考えてみましたが、どうにも収拾がつきませんでした。
世界は広く
これまでは私にとって、オリンピックはその名のとおり、オリンピック競技を見るだけで、パラリンピックが開催されていても、オリンピックが終わればもう熱は冷めてしまっていました。
ですが、今回パラリンピックを見ることで、いつもとは少しだけ違う気持ちになりました。
うまく説明できないのですが、「東京オリンピック」というより、「東京オリンピックと東京パラリンピック」、まさに「東京2020」という方がすんなり自然に入ってきます。
オリンピックもパラリンピックも関係なく、アスリートの人たちってみんな本当にすごいですね。
ただただ、頭が下がります。
私達が目にするのは、オリンピックやパラリンピックの大会での彼らのパフォーマンスや結果。
そこまでに到る長い長い道、それぞれの日々の努力や、犠牲にしてきたもの、挫折やケガ、それを乗り越えた後に見える世界、そしてまた続く練習の日々、それらがどれだけ厳しいものなのか、私にはわかりません。
自分のふだんの生活は平凡で、当たり前の日常で、それが毎日淡々とすぎていきます。
今私は、当たり前の生活ができることがすごく幸せだということが実感できる年になりました。
ただ、世界は広く、色んな人がいて、がんばっている人がこんなにたくさんいることを知るって、やっぱり大切です。
そんなことを改めて感じさせてくれた、2021年夏の「東京2020」でした。