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不幸せな年金生活?

President Online で勝間和代さんの「勝間和代は見た『年金でのんびり暮らそう』と考える老人ほど幸せになれない」という記事を読みました。

勝間さんは、この記事で「私が推奨したいのは、年金は最後の砦として、生活保護のような存在として考え、基本的には自分の力でいつまでも収入を得るような生き方です。」とおっしゃっています。

内容ざっくり

記事の内容は、ざっくり以下のような内容です。

ズレた老人

年金という増える見込みのないストック収入だけで暮らしていると、節約ばかりで生活がケチくさくなってしまう。

また、働くという視点からしても、いったん労働市場から身を引いてしまうと競争社会から離れてしまうために、どんどん世間からズレていってしまう。

65歳ゴール

自分の労働のゴールを定年の65歳とした場合、定年以降、年金とそれまでの蓄えだけで暮らすことになる。

なので、公共の図書館やスポーツセンターなどお金がかからず暇をつぶせるところに高齢者が殺到するような状況になってしまう。

勝間さんは、「そのような生活は、大変、窮屈で、不自由だと思いませんか。」とおっしゃっています。

年金というストック収入だけで生活しようと思うと、自ずと、生活は小さく閉じこもっていく可能性が高くなる。

さらに、「年金生活とは、私たちがこの先、何らかのかたちでもっと社会的につながりを持ち、お金を得るためのオプションを放棄することを前提としたうえで、得られる生活にすぎません。」ともおっしゃっています。

ゴールを100歳に

勝間さんは、ゴールを65歳ではなく100歳にした人生設計をしようと提言しています。

そのために重要なのは、年金を受け取らない覚悟。

勝間さん曰く、「私たちがいったい何に幸せを感じるのかというと、いまの幸せの絶対値に感じているのではなくて、これから先の未来において、現状がさらによくなる可能性があることに幸せを感じるものなのです。」

従って、「年金生活のように、何らかのかたちで固定され閉塞的な状況に陥ってしまうのは、不幸せの大きなリスクになるわけです。」とのこと。

ゆえに、

「将来的には『年金が減る金額までは稼ぐぞ!』という心構えは重要です。」

「また、すべてのフロー収入を労働による収入だけで得ようとするのではなく、ある程度、リスクを分散させるためにも、資産からの配当を考えるべきです。」

と結んでいます。

ちょっと長くなりましたが、以上のような内容です。

概ね共感

勝間さんのおっしゃっていること、概ね私も共感できます。

勝間さんは、「自分でお金を稼いでいる人と、これまで貯めた資金と年金のみで暮らしている人では、まったく違う『人種』になってしまう」ということを嫌というほど体感されたそうです。

勝間さんの言うように、まったく違うとまでは言い切れるかどうかはわかりませんが、確かに、ストック(限りあるお金)しかない場合と、フロー(収入があってお金がまわっている)がある場合とでは、精神的なゆとりは違いますよね。

ストックしかなければその中でやりくりしようと思うのが自然だし、そうなると、自ずと行動や自由度が狭まってしまうのが普通かもしれません。

そして、社会との接点が少なくなって、世間からどんどんズレてしまうリスクもありますし。

そういう縮こまって窮屈な状態にならないために、年金収入だけをあてにするのではなく、100歳まで自分で収入を得る術を身につけておこうということですね。

年をとると若い頃のようなハードワークはできないかもしれないけど、年をとったならとったなりのやり方があるので、できることをすればいいと思います。

ちょっとひっかかるのは・・・

ただ、ちょっとだけひっかかるところが・・・

それは、「65歳をゴールとして、その後の35年間をひたすら、月々の年金やそれまで蓄えた多少の資産で暮らす。そんな状態だから、結局、公共の図書館かスポーツセンターなど、お金がかからず暇がつぶせるところに、高齢者が殺到することになるわけです。」「そのような生活は、大変、窮屈で、不自由だと思いませんか。」のくだり。

図書館やスポーツセンターにいるお年寄りの方って、みんながみんなご自身の生活を窮屈で不自由と思ってるんですかね・・・・?

もしかしたらほとんどのお年寄りがそうなのかもしれないし、本当のところは私にはわかりません。

ただ、お金をかけずに生活を楽しむことって案外あって、それを探すのも楽しかったりしませんかね?

それが、図書館で本を読むことだったり、スポーツセンターで体を動かすことな人もいるわけで、さらには、そこから新しい友人関係やコミュニティができたり、新しいスポーツに挑戦したりする人もいるんじゃないでしょうか。

それって、ステキなことだと思います。

なので、図書館やスポーツセンターにいるお年寄りの生活を「窮屈で不自由」と言う言葉で表現するのは極端すぎる気がして、私としてはちょっと違和感がありますなぁ。

あと、「私たちがいったい何に幸せを感じるのかというと、いまの幸せの絶対値に感じているのではなくて、」のところも。

今の生活に満足していてそれがずっと続けばいい、って思う人だっているんじゃないでしょうか?

楽しいややりたいことは人それぞれ。

それが何かということや、そのことにお金がかかるかからないかは、あまり大したことではないような気がします。

結局・・・

年金だけでのんびり暮らしていきたい、そしてそうできる人はそうすればいいし、ちょっと苦しい人は年金に+αできる方法や準備をすればいいし、若い頃と同じようにバリバリ働きたい人はそうすればいい。

やりたいことは人それぞれ、幸せも人それぞれですからね。

ただ、限られた生活や収入が窮屈で不自由だと感じるなら、そうでなくなるよう、できる努力からやっていくべきだと思います。

それをしないで不満を言ったり、やりたいこともできずに生活が縮こまってしまうのは、若者であろうとお年寄りであろうと、やっぱりちょっと違うと思います。

そもそも、それだと人生、損してます。

他人のことはあまり気にせず、自分がやりたいことをできるだけ自由に楽しめる生活をしていきたいものです。

いくつになっても、なりたい自分に近づきたいです。

みなさんはどう思いますか?