三浦しをんさんの本は読んだことがありませんでした。
名前をうっすら知っている程度、というのが正しいかもしれません。
映画「舟を編む」の原作者
三浦しをんさんの原作だとは知らず、本屋大賞を受賞していたことも知らず、ただ単純に「この映画観たいなぁ」と思って観た「舟を編む」。
そんなレベルでした。
で、ここ数年本をよく読むようになって、「舟を編む」が、三浦しをんさんの原作だったと知り、今回図書館で「お友だちからお願いします」というエッセイを借りて読んでみました。
読み終わってみて、「舟を編む」の映画の印象(かなりあいまいな記憶ですが)とは、ちょっと違った印象なのですが、三浦しをんさんの言葉の切り取り方、選び方、文章の送り方、ステキだなぁとすごく感じました。
「・・・な私なのでした。」の言い回し
私が一番心に残ったのは、「・・・な私なのでした。」「・・・と思う今日この頃なのでした。」的な書き終わりが一切ないのが気持ちいい!
この「・・・な私なのでした。」「・・・と思う今日この頃なのでした。」的な書き終わり方って、我々素人が書くのは全然OKだと思うんです。
っていうのは、すごく便利な言い回しだから。
「私は○○と思うのです。/思っているのです。」「○○と思いながら、毎日を過ごしているのです。」と言いたいところを、「・・・な私なのでした。」「・・・と思う今日この頃なのでした。」と書けば、誰でもほんのちょっとだけ、文章を書いている人っぽい感をかもし出せるように見せられる気がします。
ちょっと古い感は否めませんが、我々素人ならまぁまぁよしと言えます。
うぅん、わかってもらえるでしょうか?
例えば、子供だったら、「私は○○と思います。/毎日○○と思っています。」と書くと思うんです。
でも、「・・・な私なのでした。」「・・・と思う今日この頃なのでした。」と、本来、文頭に書くべき主語の「私」を、文尾の述語の部分に置きかえることで、ちょっぴりこなれた文章を書けてる感を出せてる感じがしませんか。
なので、私の中では、我々素人が使うには便利な言い回しだと思っているのですが、プロの方がこの言い回しで結んでいると、正直、「ちょっと芸がないかな。」という気がしてしまいます。
それまでの文章や内容がすごく良くても、 「なんか、字数あわせで、簡単にまとめちゃったのかなぁ・・・。」 と、最後にちょっと残念な気持ちになるんですね。
私だけの独特な感じ方かもしれません。
そして、プロの方、恐れ多くてすみません。
すごく共感できた一説
あと、すごく共感できた一説があります。
「町田も東京だったんだ」の項の中の件に、すごく心を惹かれました。
「東京はさまざまな顔を持っている。異なる故郷を持つ多種多様なひとが住んでいる。そしてだれもが、ここで自分の場所を築こうとあがいている。
変化と「居場所の希求」とスピード感。生そのものを象徴するかのようだから、私は東京が好きだ。」
そうそう!そうなんです!
この部分、とってもとっても共感できます!
「だから、東京が好きだ!」と私も声に出して言いたい気持ちになりました。
たぶん、地方から東京に出てきた人って、その人なりの何かしらの目標や目的があって東京に出てきて、その人なりに毎日もがいてると思うんです。
この場合の目標っていうのは、大きさとか意識の高さは問題ではなく、例えば、他人からすれば小さなくだらないこと、やりたいことがわからなくて、なんだかモヤモヤしてる、とか、そういうのでもいいんです。
なんか、いろんな人がいて、いろんなところにそれぞれ向かっていて、いつも変化していて、それだけで価値を生み出しているような感じ。
うまく言えなくて、自分でもちょっとじれったいのですが、とにかく、そういう東京が好きなんですが、そう思う私の気持ちをステキに表現してくれてて、とってもうれしい気持ちになりました。
やっぱり、プロの方の書く文章ってすごいですね。
私も、まずは自己満足でもいいから、自分で「おぉ~!これはストンと入って来る!」というような表現をしたい、と、常々思っていますが、これがなかなか・・・。