ジェーン・スーさんが婦人公論に掲載しているエッセイを読んでいます。
その中で、最近、すごく共感したことがあります。
それは、「大人になってから友達を作るにはどうしたらいいか?」という相談に対する彼女のコメント。
なぜ友達がほしいのか
以下、友達がほしいという相談に対する、彼女のコメント(引用)です。
「なぜ友達が欲しいのかを尋ねると、たいてい『たわいもない話を聞いてくれたり、一緒に行動してくれたりする人が欲しい』とか『大人になって友人が少ないのは見映えが悪い』とか『昔は平気だったが、さみしくなってきた』というような答えが返ってくる。」
これを読んで正直、ちょっと驚きました。
友達とは、一緒に行動してくれる人なの?
友達の少ない大人は見栄えが悪いの?
そもそも、こんな理由で友達が欲しいと思っている人に聞いてみたい。
それって友達なんですか?
人生経験の少ない若者がこんな風に思っているのならまだしも、ある程度(おそらく中年以降)の大人が、こんな薄っぺらい感覚なのかと思うと、なんだか気の毒な気すらしてきます。
友達ではなく自分にとって都合のいい人
以下、続いて、ジェーン・スーさんのエッセイの引用です。
「私は途端に鼻白み、『自分に都合のいい人が欲しいなら、お金を払って雇えばいい』と、ぞんざいな答えをしてしまう。」
いやぁ、そのとおり!
それは、友達ではなく、自分にとって都合のいい人ですよね。
ジェーン・スーさんの考える友人とは
さらに、ジェーン・スーさんの考える友人とは(引用)、
「私にとって友人とは、なにかあったら万障繰り合わせて駆けつける相手のことだ。それだけの価値があると、見込んだ人のこと。してほしいことがある相手のことではない。」
「万障繰り合わせ」って、よく、イベントなどの招待状で「万障お繰り合わせの上」のように使う形式的な言葉だと思っていたので、ジェーン・スーさんのような使い方もするのかと思い、「万障繰り合わせて」の意味を調べてみました。
そしたら、「うまく都合をつけることはなかなか難しいとは思うが、そこを何とか調整して」という意味のようです。
なるほど。
つまり、ジェーン・スーさんの言う友達とは、「相手に何かあった時に、色々都合があってもそれよりもまずは駆けつける人、その価値がある人」ってことなんですかね。
そんな風に、自分の都合は後回しにして、とりあえず駆けつける相手って、普通、そんなにたくさんいないですよね。
恵まれた人生
大人(というより、中高年)になった私が、自分のあり方や友達との関係について思うのは、
- まずは自分自身が自分で考え、行動できる自立した大人であること
- そして、相手も同じように自立した大人であること
- それぞれ自分の世界や価値観があって、それが多少違っていたり、同じであったりなどに関係なく、お互いに認め合っていること
- そして(ジェーン・スーさんの言うように)相手に何かあった時、私を必要としている時に、できる限りのサポートをしたいと思い、実際にする関係であること
私は夫も子どももいないので、これから先もしっかりひとりで生きていかなければなりません。
そんな私にとって、友達の存在はかけがえのないもので、本当に自分は恵まれているとしみじみ思います。
改めて、大切にしようと思います。
ありがとう。