先日、5月20日は62歳の誕生日でした。
自分の誕生日の季節だから、というわけではないのですが、桜が終わる頃から梅雨に入る前の新緑の今の時期が1年の中で一番好きな季節です。
産んでくれてありがとう
この年になると誕生日と言っても特別なことをすることもなく、普段の日とほとんど変わらない日を過ごします。
それでも、友人達から「おめでとう!」のメッセージが届くと、それだけでとてもうれしいものです。
いくつになっても誕生日を忘れずにいてくれる友達がいてくれるって、ありがたいし幸せなことですね。
と、毎年友人からのメッセージには「ありがたいなぁ」と思うのですが、よくよく考えてみると、誕生日って、母が私をこの世に送り出してくれた日なんですよね。
って、当たり前ですが(苦笑)
楽しかったことやうれしかったこと、しんどかったことや悔しかったこと、今日までそれなりに色々ありましたが、「やっぱりそれらを経験できて良かったなぁ」と62歳になった今、しみじみと感じます。
でもそれらの全ての経験は、母が私を産んでくれなければできなかったわけで、そう考えると、誕生日は母に「産んでくれてありがとう!」と感謝を伝える日とも言えますね。
保育園の卒園式で
私が子供のころは、ほとんどのお母さんが専業主婦の時代だったのですが、私の母は看護師としてずっと働いていたので、私はあの時代にしてはめずらしく0歳から6歳まで保育園に通っていました。
年少さんの頃はもちろん、5歳、6歳の年長さんの頃のこともあまり覚えていないのですが、保育園には大好きな先生や友達がいたので、母親がいなくて寂しいと感じた記憶はあまりありません。
もしかしたら忘れてしまっているだけで、その時々には寂しいと感じたことがあったのかもしれませんが、いずれにしても、今「あの時は寂しかった」という記憶はないので、結果オーライです。
ただ、唯一、母がいなくて機嫌が悪かった思い出があるのは、保育園の卒園式の時。
他の子供達はみんなお母さんが出席しているのに、うちの母はその時仕事だったのか、母ではなく私だけ父が出席。
卒園式の集合写真では、よそのお母さんはみんなそれなりによそいきのおしゃれな格好をして写っているのに、うちだけ父親。
それも、父は普段バイクに乗って通勤しており、バイク用の革ジャン(決してかっこいいものではなく、バイク用の通勤着みたいなもの)、つまり、卒園式のためのよそいきのスーツなどではなく、いつもの通勤着・普段着で写真に写ってるんです。
そして、「父でなく、私も母におしゃれして来てほしかったのに・・・・・」と言わんばかりの明らかにふくれっつらの6歳の私も写っています(笑)
小学校に上がってからも鍵っ子
小学校に上がってからも、母は看護師として働いていたので、私は鍵っ子(今は死語ですかね?)でした。
専業主婦のお母さんの友達の家に遊びに行くと、お母さんの手作りのお菓子を出してくれる家もあって、「うちではこんなお菓子、食べたことないなぁ」と思ったこともありましたが、だからと言って「母に家にいてほしい、手作りのお菓子を作ってほしい」と思ったことはあまりなかったように思います。
その頃、まだ小学校の低学年でしたが、「うちの母は看護師として働いているんだから、家にいないのは仕方ない」ということを子供なりに理解していたんでしょうかね~
そんな小学生だったので、家に帰った時に誰もいないというのは私にとっては普通のことでした。
ハウスのプリンで誕生日会
そんな小学生の頃、おそらく2年生か3年生くらいだったと思うのですが、その学年では誕生日が来ると、その子の家でお誕生日会をするのが恒例となっていました。
専業主婦のお母さんの友達の家、特に前述した、遊びに行ったときに手作りのお菓子を出してくれるような家では、誕生日会ともなると、なんだかおしゃれな料理やケーキ、お菓子が出ていたように記憶しています。
で、いくら母がいなくても寂しくない子供の私でも、誕生日会は開いてほしいと思っていて、母もそのことはわかっていたみたいです。
なので、誕生日会をしてくれるだろうとは思っていたのですが、「専業主婦のお母さんのような手の込んだお料理は無理だろうなぁ」ということは子供心に理解していましたし、それなりのお菓子やケーキで、誕生日会をしてくれるだけで十分でした。
で、迎えた私の誕生日。
記憶が断片的で、どんな料理やお菓子を母が準備してくれたのかほとんど覚えていないのですが、唯一覚えているのは、ハウスのプリン、それもさくらんぼが乗ってるやつ。
あの頃の子供はみんな、ハウスのプリン大好きでしたからね~
そして、さくらんぼも、おいしいだけの他の果物とはちょっと違う、子供、特に女子にとっては特別な果物でしたね~
味がどうとかよりも、あのかわいらしい形状が小学生女子の心をギュッと掴んでいたんだと思います(笑)
みんな大好きハウスのプリン+女子の心を掴むさくらんぼ。
もうこれは、当時の小学生女子にとって最強の組み合わせのお菓子です!
私だけでなく、招待したお友達の心もギュッと掴んだはず!
母よ!グッジョブ!(笑)
その後に、他の友達の家に遊びに言った時に、ハウスのプリンじゃなくて蒸して作る本格派のプリンが出された時にはちょっと驚きましたが、「うちの母が作ったハウスのプリンの方がおいしいし、なんたって、さくらんぼが乗ってるもんね!」と思いましたね(苦笑)
私にとっては、ほろ苦のカラメルの蒸したプリンよりも、甘ったるいハウスのプリン、それもさくらんぼが乗ってる方が断然可愛いし、おいしかったんです。
これホント(笑)
あと、うる覚えなんですが、料理以外に、家の中も誕生日会らしく折り紙の短冊やティッシュで作ったお花などで飾りつけてくれていたように気がします。
こんなやつです。
出典:みんなの幼児と保育
今思えば、あの時母は仕事を休み、私のために料理やら飾りつけやら、誕生会の準備をしてくれたんですよね・・・・・
あの時もうれしかったですが、改めて今さらながら、今の私よりもうんと若い当時の母(おそらく30代前半)を褒めてあげたい気持ちです。
毎日の仕事で疲れていただろうに、私のためにありがとう!
来年の誕生日も母と一緒に
あれから半世紀以上がすぎて時代は変わり、小さかった私はなんと62歳、若かった母は87歳になりました。
今では母が誕生日会をしてくれることはもちろんなく、認知症になってしまったので私の誕生日も覚えていられなくなってしまいましたが、それでも、彼女が私の母でいてくれて本当に良かったです。
今はただ、母の体調が安定して、毎日をゆったりのんびりいい気持ちで過ごしてくれれば、それだけで十分私も安らいだ気持ちになることができます。
来年の63歳の誕生日も、母と一緒に、同じような穏やかで満ち足りた気持ちで迎えられますように。
なんだか、久しぶりにハウスのプリン、食べてみたくなりました。
もちろん、さくらんぼが乗ってるやつね(笑)