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益田ミリさんの「ツユクサナツコの一生」

益田ミリさんの「ツユクサナツコの一生」を読みました。

以前にも一度読んだことがあったのですが、たまたまネットで紹介されていたのを見て、もう一度読みたくなってしまいました。

益田ミリさん>ツユクサナツコさん>おはぎ屋春子さん

「これは漫画家ツユクサナツコの物語です」という言葉で始まるように、主人公はツユクサナツコ(ペンネーム)というネット漫画家のお話です。

漫画家と言っても雑誌に連載を持つようなバリバリの漫画家さんではなく、週6でドーナツ屋さんのアルバイトをしながらネットに漫画を掲載している、マイペースのゆるい感じの漫画家さんです。

ナツコさんは定年を過ぎたお父さんと大阪の実家で二人暮らし、お母さんは少し前に亡くなられ、この漫画の中で納骨のお話もあります。

そんなナツコさんが描く漫画は、「おはぎ屋春子」という主人公に自分をなぞらえて、何気ない日々の出来事や誰かの一言に思いをめぐらせ、それを独特の間(マ)でもって綴っていく、ゆったりとした空気感のある漫画です。

ちなみに、益田ミリさんの他の漫画も、「これって益田さんが感じてることなんだろうなぁ」と思わせる箇所が随所にちりばめられています。

なので、この「ツユクサナツコの一生」という本は、

益田ミリさんがツユクサナツコさんに、

ツユクサナツコさんがおはぎ屋春子さんに、

それぞれの思いを投影させているような関係性を感じます。

第6話 レコード

全部で21のエピソードがあるのですが、私が一番心に残っているのは、「第6話 レコード」というお話。

(注!以下、ほぼネタバレです)

ドーナツ屋のお得意さんのおじいさん

ナツコさんがバイトしているドーナツ屋さんに、以前によくお孫さんを連れて買いに来てくれていたおじいさんが、ある日ひとりでやってきます。

このおじいさん、買うのはいつもシュガードーナツ4つ、そして若い頃にアメリカに住んでいたそうで、ナツコさんは「いつもオシャレで若々しいアメカジファションのおじいさん」という印象でした。

その日もいつもと変わらずオシャレないでたちだったのですが、おじいさん、なぜかなにしにそこに来たのかわからなくなって、「あれ? なにしにここに来たんでしたかな」と。

ナツコさんが「え?」「わからんて・・・・ ドーナツ買いに来はったんちゃいます?」と聞いていると、そこへ、そのおじいさんの娘さんが女の子(おじいさんが以前連れてきていたお孫さん)と一緒にやってきて、「おった!!もうっ お父さん!!」「ひとりで出掛けたらアカン言うたやん」と、少しイラついた様子でおじいさんに注意します。

どうやら、おじいさん、いつものドーナツ屋さんに行こうとひとりで出掛けたものの、何をしに来たのかわからなくなったようで、娘さんはおじいさんを探していたようです。

そして、娘さんがすまなそうに、ナツコさんに「あ、すいません 最近ちょっともの忘れが始まって・・・・・」と説明をする横で「わからんようになってしもうて」とすまなそうなおじいさん。

娘さんは「あ、あのドーナツもらいます お父さん、どれ? あ、わからんか このチョコの4つください」と言って、おじいさんが答えるのを待つことなく、チョコのドーナツを注文します。

そして、いつもおじいさんが買っていたシュガードーナツではなく、チョコのドーナツを買って、片方の手で女の子の手を引き、もう片方の手でおじいさんの手を引いて、店を後にします。

シフトの時間が終わり、ロッカーで同僚とおじいさんのことが話題に。

同僚、「あのおじいさん」 「ちょっと前までしっかりしてはったのにねぇ よくお孫さんとご一緒に」

ナツコさん、「ホンマにやさしい人でしたよねぇ」「じゃお先に失礼します」

家に着いたナツコさん、「『やさしい人でしたよねぇ』って」「なんで過去形にしてんの」「なんやのわたし・・・・・」

と、ポツリ。

そのおじいさんのことを漫画に

ナツコさんはこのことを漫画に描きます。

春子さんのおはぎ屋さんにごひいきのおじいさんが来るのですが、以前と違って認知症をわずらっているようで、「なんの用事でしたかなぁ」「なんやおかしいんや」「なんやようわからんようになってもうて」と春子さんに尋ねます。

春子さんは一瞬キョトンとしますが、すぐに「あーそうですか お客さん、ここには時々寄ってくれてますよ」笑顔で答えます。

するとおじいさんは安心したように「そうですか」と。

さらに春子さん、「いつもきなことごまを2個ずつ買うてくれて」と笑顔でおじいさんに伝えます。

すると、おじいさんは「きなこ」「ごまも」といつもどおり注文するんです。

と、そこへ、おじいさんの娘さんがやってきて、「お父さん! ひとりで出掛けんといて言うたやん!」「この前も迷子になったやん」とおじいさんに注意します。

娘さんは「すいません、ちょっと父・・・・」と春子さんに説明しようとするのですが、春子さんは「お父さんにはいっつもごひいきにしてもろて!」とお礼を言います。

そして、

「おおきに」

「またいつでも来てください」

「お父さん、わたしはお父さんのことよう知ってますし、大丈夫です!」

「安心してください」

とおじいさんに声をかけます。

すると、娘さん、「すんません、せっかく来たし お父さん、なんか買おか」とおじいさんに聞くのですが、おじいさんの返事を待つことなく、「あーわからんか こしあんでいいか」と。

ですが、次の瞬間、おじいさん「きなこ」「きなことごまや」と大好きなきなことごまを自分で注文するんです。

春子さんは「そうですねぇ お好きですもんねぇ」と笑顔で返します。

おじいさんと娘さんが帰った後、春子さんは、

どんなに不安やろう

自分が失われていくこと

過去が薄くなっていくこと

怖くないわけがない

と思いをめぐらせ、

「そんでも、それは、」

「誰かに」

「申し訳なく思うことではないんや」

と、ひとりごちるのです。

現実(ナツコさんのドーナツ屋さんでの出来事)では、おじいさんに注文させずに娘さんが注文するのですが、漫画ではおじいさんが自分で「きなことごまや」と注文します。

漫画を描き終えた後、「春子、」「アンタはわたしと違うんやな」と独り言。

きっと、おじいさんはシュガードーナツを買おうと思って来てくれたのに、シュガードーナツを好きだったことを思い出させてあげられなかったこと、ちょっぴり悔やんだんですかね・・・・

思い出したのは

私の母も認知症です。

今はかなり進んでしまいましたが、まだ一人暮らしができていた時は、私が1ヶ月に一度のペースで様子を見に東京から実家に3~4日間くらい帰省していました。

その頃に一度、母が家からいなくなってしまったことがあったんです。

もうそのときは本当にビックリして家を飛び出して、近所を探しまわっていたら、近くにあるスーパーに続く道を母が何事もなかったかのようにテクテクと歩いているのが見えました。

安心するやら、腹が立つやらで、「なに?どこに行ってたん?黙っていなくなるからビックリして探したよ!」と私。

すると、「東京の会社の人にお土産がいるだろうと思って」と母。

で私、「そんなお土産なんていらん、いらん。黙って家から出て行かんで」とやや怒り気味に言ってしまったんです。

あとから、「私のためにお土産を買おうとしてくれたのに、あんなふうに言わなければよかった・・・・」と自己嫌悪。

元気な時なら、お土産を買うならスーパーではなく、当然デパートやそれなりのお店でと考えるのが普通だけど、その時の母にしてみれば自分で歩いて行けるのはスーパーしかないから、せめてそこで私のために何かお土産になるものを買おうとしてくれたんですよね。

ほんとに、なんであんな風に言ってしまったのか・・・・

ですが、家から母がいなくなった時の衝撃はかなりのもので、「もし遠くまで行って帰れなくなったらどうしよう!交通事故にでもあったらどうしよう!」と、悪い予感ばかりが頭の中を駆け巡り、ほんとにほんとに心配だったんです。

「第6話 レコード」のこのエピソードを読んで、このことを思い出しました。

タイトルの「第6話 レコード」とは?

自分の話になってしまいましたが、「ツユクサナツコの一生」のお話はどれも、日常の何気ない暮らしの中のナツコさんのちょっとした行動や言葉が、私たちに何かを感じさせてくれます。

例えば、この認知症のおじいさんのエピソードのタイトルは「第6話 レコード」なんですが、一見、レコードはこのお話に何の関係もないように見えます。

ですが、実は物語の最初、ナツコさんがドーナツ屋のバイトに行く前にお父さんが座椅子に寝転んで昔のレコードを聴いています。

お父さん、

「お母さんともよう聴いたんやで レコード」

「音楽て不思議やなあ いろいろ思い出してくるわ」

「狭いアパートの畳のしめっぽい匂いとか」

とレコードを聴きながら、昔を思い出しています。

「それ、今も変わらんで 見てみ、この家」

と軽くいなして、バイトに出掛けようとするナツコさん。

すると、

「葬式、この曲流してくれや」

とお父さん。

というやりとりがあります。

そして、物語の最後に、ナツコさんが「おはぎ屋春子」の漫画を描き終え、二階の自分の部屋から

「お父さーん 晩ごはんにしよか~」

と下りて来て、

「たまにはレコード聴きながら食べよか」

とお父さんに声をかけるんです。

お父さんがお母さんとよく聴いたレコードを聴きながら、二人で晩ごはん、食べるんですね~

晩ごはんのおかずは何だろなぁ~

認知症になったお得意さんのおじいさんのこと、そしてそれを漫画に描いたこと、そういう出来事があった日の夜、「たまにはレコード聴きながら食べよか」とお父さんに声をかけるナツコさん。

なんと表現していいのか、ぴったり来る形容詞が見つかりませんが、ナツコさん、いい感じです。

そして、益田ミリさんのタイトルのつけ方もなんともいえませんね~

一見何気ない会話ばかりのように見えるのですが、いやいやどうして結構深いです。

オススメです!

またまた自分の話になってしまって恐縮ですが、「あの時、あんな風に言ってしまって、もしかしたら母を傷つけてしまったかもしれない」と今さらながら後悔しています。

今となっては、母はそんなことはもう覚えていないほど認知症が進んで、体力も落ちてしまったけれど、まだ病気せずに毎日を穏やかに過ごしています。

そしてこんな状況になった今だからこそ、あとどれだけ母と一緒に過ごせるかわからないと思えばこそ、元気だった頃には話せなかったようなことも素直に母に話せています。

そう思うと、何事も悪い面ばかりじゃないのかもしれません。

この「第6話 レコード」のエンディングを見て、そんなことを感じました。

どんな状態になっても、良くないことばかりじゃない。

そんな風に感じられるようになったのも、年をとったってことなのかなぁ、と思っています。

良い意味でね。

「ツユクサナツコの一生」、日々の何気ない出来事やナツコさんの一言が、私達の心に何か一滴の雫をたらしてくれるようなお話ばかりですが、一方で、我々読者の想像を裏切る展開もあったりします。

ツユクサって、なにか儚げなイメージがありませんか?

「益田さん、ナツコさんに『ツユクサ』というペンネームをつけることでその想いを込めたのかなぁ」と勝手に思ったりしています。

「ツユクサナツコの一生」、オススメです。