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ふと思い出した、子どもの頃の思い出

とりとめもないことなんですが、最近「あ、これ子どもの頃感じたことあったなぁ」と思い出したことがありました。

お弁当のタコさんウインナーともうひとつ

ひとつは「タコさんウインナー」に関すること。

そう、遠足や運動会の時のお弁当に入っていた、あの赤いタコさんウインナーです。

これ、これ ↓

思い出したのは、先日布団を干していた時のこと。

暖かくなって花粉も少なくなるので、やっと布団が干せるようになった今の季節。

平日の午前中、ポカポカ陽気で「人様が働いている時、こうしてのんびり布団を干せるってけっこうな贅沢だわぁ」と思いながら布団を干していたんです。

そうしたら、どこからか、嗅いだことのある懐かしい匂いが漂ってきました。

むむむ、これはもしや?

そう、あの赤いタコさんウインナーを炒めている匂いでした。

平日の10時ごろだったので、運動会や遠足のお弁当作りではなさそう。

でも、漂う匂いは完全にタコさんウインナーをフライパンで炒めている、あの懐かしい匂いです。

もしかしたら、タコさんではなく元のウィンナーの形のままなのかもしれませんが、私としてはタコさんウィンナーであってほしい!

「どこかの家のお母さんが、子どものためにタコさんウィンナーを炒めているのかなぁ」と思うと、なんだかほっこりした気持ちになりました。

で、思い出したんですが、うちの母はタコさんウィンナーの他にカニさんウィンナーもよく作ってくれてたんですよ。

カニさんウィンナー、知ってます?

こんな感じのやつです。

ネットで調べたら、今はタコさんウインナーと同じくらいポピュラーみたいでした。

ですが、少なくとも私が子どもの頃、タコさんウィンナーはみんなのお弁当の中にあっても、カニさんウィンナーも入っているのはクラスに私くらいしかいなくて、子どもながらにちょっと優越感に浸っていたのを覚えています。

「私のお弁当には、タコさんだけじゃなくてカニさんもいるもんね~」みたいな(笑)

私の母は看護師としてずっと働いていたので、忙しい中、カニさんウィンナーの入ったお弁当を作ってくれたのだと思うと、今更ながらありがたいです。

あの赤いウィンナー(今思えば毒々しいくらいの赤さですが)、懐かしの昭和の味ですよね~

なんだか、また食べたくなりました。

カレーライスになぜそれかける?

もう一つは、カレーライスに関すること。

先日カレーを作っていた時のこと、市販のカレールゥを使っていたのですが、「何か足せばもっと深みのある味になるのでは?」と思い、冷蔵庫を開けてみました。

よく赤ワインとかチョコレートなんかを加えるとコクが出るって言うじゃないですか。

しかし残念ながら、我が家には赤ワインもチョコレートもありませんでした。

そこで、目に留まったのが中濃ソース。

「どろっとした中濃ソースもそれなりに良さそう!」と思った私は、仕上げに二回しほどかけてみました。

そこで、ふと思い出したんです。

昔、子どもの頃、うちの父がカレーライスによくソースをかけていたことを。

それを見ていた当時の私が思ったのは「なんでカレーにソースかけるの?カレーじゃなくてソースの味になっちゃうじゃん!」てこと。

「カレーライスじゃなくて、ソースの味が混じってソースカレーライスになっちゃうじゃん!」て思ってたんですよね~(笑)

「カレーライスはカレーの味だからおいしいのに」と、子どもの私は信じていたんだと思います。

そういえば、父はたまに生卵を割ってかけていることもあった気がします。

ソースですら理解できない私は、生卵をカレーと混ぜて食べる父を、「カレーに生卵かけるなんてわけわからん!」と、軽蔑のまなざしとまではいかないまでも、横目でじとーっと見てたような気がします。

当の本人の父は、まったく気にしていませんでしたけどね(笑)

ただ、今思うに、自分が食べるカレーにかけるソースと、料理の手順の一つとしてのソースと若干ニュアンスは違いますが、カレーに一味、深みを加えたいということでは同じと言えば同じですかね。

大人になると、単純な市販のカレールゥの味が物足りなくなるんですかねぇ。

私も大人になったということでしょうか?

ちなみに、昨日63歳になった私、既に「これでもか!」というくらい大人です(笑)

63歳の大人の私、味に深みが増したのかどうか、正直わかりませんでしたが、中濃ソースを加えたカレー、それなりにおいしかったです。

少なくとも、ソースカレーなるものではなかったです(笑)

番外編のアヤメちゃん

三つ目は、子どもの頃感じた気持ち、というわけではないんですが、自分でもちょっとびっくりしたというか、「まるで子どもじゃん!」て思ったエピソードがありました。

我が家には小さいながらも庭があり、毎年、ゴールデンウィークくらいになると紫の(たぶん)アヤメが咲くんです。

なんですが、今年は少し気温が低かったせいか、ゴールデンウィークになってもまだ一輪も咲いてなかったんです。

なので「今年はまだ咲かないなぁ」とちょっと気にしていたある日、外出しようとドアの外に出ると、なんとそれまで全く咲いていなかったアヤメが咲いてました!

こんな感じです。

(画像だと青っぽく見えますが、実際は濃い紫色です)

前日まで咲いていなかったこのアヤメを見た私の第一声、なんだったと思います?

なんと、「わぁ、こんにちはぁ!」って、思わずアヤメに挨拶したんですよ。

それもまぁまぁ大きな声で(笑)

お向かいと隣の家の人が聞こえるくらいの大きさの声です。

「やっと会えたね!」っていううれしさから、けっこう大きな声が出てしまったんですなぁ。

その時は咲いてくれたことがうれしくて、自分では何も不自然には感じなかったんですが、後になって冷静に考えると、「アヤメに向かって『こんにちはぁ!』って大声で挨拶している63歳のおばさん、大丈夫か?」とちょっと思いました(苦笑)

ですが、咲いてくれてただうれしかった気持ちがそのまま言葉になって出てきた、そのことが自分でもなんだかとてもいとおしい気がするんです。

もしこれが数年前の忙しく働いていた会社員時代だったら、「今年も咲いてくれた!」とは心の中で思っても、「こんにちはぁ!」なんて言葉は出てこなかったと思います。

それもあんな大きな声で(苦笑)

うまく説明できないんですが、今のセミリタイヤ生活で気持ちにゆとりが生まれたのか、それとも子どもの頃に逆戻りしつつあるのか、はたまた両方なのか?

なんだかよくわかりませんが、それからは、外出時にアヤメちゃん(ちゃん付けになってる)を見ては、「今日もきれいだねぇ」とか、「君は雨も似合うねぇ」とか声をかけています(笑)

ちなにみ雨に濡れたアヤメちゃんがこちらです。

自分が大事に育てている植物に話しかけるっていうのは時々聞きますが、全くお世話していない、自然に庭に咲くアヤメに話しかけているおばさんは、やはりちょっとアブナイでしょうか?(苦笑)

けっこう幸せなやつかも・・・・

こんな感じで、最近あった、子どものころに感じた気持ちやエピソード、特に最後のアヤメちゃんへの挨拶のエピソードは、我ながら「子どもに戻りつつあるのでは?」と思ってしまいます。

おじいちゃん、おばぁちゃんが年を重ねてだんだん子どもみたいになるって聞いたことがありますが、それの一種なんでしょうか?

ですが、タコさん・カニさんウインナーを作ってくれた若かった母や、カレーにソースや生卵をかける同じく若かった父、彼らを懐かしく思い出して穏やかな気持ちに包まれています。

そしてこんな気持ちになれることを、「私ってけっこう幸せなやつだなぁ」とつくづく感じております。

ありがたいです。