香港に住んでいたことがあります。
仕事で香港に駐在することになり、2009年から2011年まで2年弱住んでました。
最初は全然興味なかった
香港に駐在することが決まった当初は、良くも悪くも全く興味のない街でした。
1997年にイギリスから返還された街というくらいの知識しかなく、なんでイギリス領だったのかもよくわかっていませんでした(苦笑)。
転勤する直前に出張で初めて行ったのが、私にとっての初香港でした。
印象はチャカチャカした街
最初の2~3ヶ月が一番しんどかったですね~。
本社は勝手なこと言ってくるし、英語で対応する仕事は遅々として進まないし、ローカルのスタッフは雇ってもすぐ辞めちゃうし、だから結局仕事がたまって自分でやることになっちゃうし。
生活のことにしても、食事もイマイチだし、蒸し暑いし、街中で大声でしゃべってる広東語がうるさいし、電車に乗るのにちゃんと列に並ばないし、横断歩道の信号の音までチャカチャカ急かすような音だし。
(香港に行ったことがある方ならご存知かと思いますが、横断歩道の信号の音、ほんと、耳につくチャカチャカした音なんですよね。)
もうほんとに、「なんでこんなところに来ちゃったんだろう・・・・」って凹む日々でしたね。
香港の同僚=戦友たち
そんな凹んだ気持ちが少しずつなくなってきたのは、3ヶ月を過ぎるくらいからだったでしょうか。
まぁ、少しずつ香港に慣れてきたというのもあると思うのですが、新しく雇ったローカルのスタッフと気持ちが通じ合ってきたからだと思います。
雇ったスタッフの中には、なんだかわからない理由ですぐに辞めてしまったり、日本人からすると考えられないような人も何人かいましたが、最終的に残ってくれたスタッフには本当に感謝しています。
よくやってくれました。
彼らは私にとってただの同僚ではなく、戦友のような存在です。
本社からの無理難題や、毎日のように起こる大小様々な問題にヒーヒー言いながら、はるか遠くのゴールに向かって一緒に匍匐前進(ほふくぜんしん)で進んでいく、そんな感じでした。
日本でいくつかの会社で働きましたが、同僚に対してこんな気持ちになったことはなかったです。
もちろん、過去に勤めた会社の同僚と親しい友人関係になり、今も親しくつきあっている日本人の友人は何人かいて、彼らも私にとってとても大切な存在なのですが、香港の友人は彼らとはまた少し違う存在なのです。
うまく言えないのですが・・・、 なんでしょうね・・・。
いつのまにか・・・・
スタッフのおかげで気持ちが落ち着いて来ると、香港の街にもだいぶ慣れていったような気がします。
相変わらず、街も人もチャカチャカうるさいし、蒸し暑いし、日焼けしちゃうし。
だけど、なんとなく気にならなくなってきたんですかね。
もうそれが当たり前みたいな。
チャカチャカした香港の街で私が好きだったのは、香港島と本土の間の海(川みたいな海)が、ちょっと瀬戸内海のサイズ感に似てて結構好きでしたね。
それと、この海を行ったり来たりするスターフェリーがなんとも哀愁があっていいんですよ。
船員のおじさんのくたびれたセーラー服も可愛いし。
なんともいいいようがなくスターフェリーが大好きなんです。
海の近くで育ったせいか、海には心惹かれます。
特別な街
そしてこれまたうまく説明できないのですが、今でも香港のことを思うとなんとも言えない切ない気持ちになります。
間違いなく、香港は私にとって特別な街になってます。
今、逃亡犯条例への抗議で香港でのデモのニュースが、頻繁にテレビで流れていますよね。
あれを見ると本当に心が痛いです。
テレビで見るデモと警察の衝突の絵は、私の知っている香港ではありません。
私の大切な友人たちとその家族のために、あるべき姿の香港に戻ってほしい。
心からそう願っています。