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ひと月ぶりの母の笑顔に

私の母は認知症で、2017年の夏から施設に入所しています。

早いもので、あれから7年数ヶ月が過ぎました。

コロナ前の母とすごすひととき

当時は私はまだ東京で会社勤めをしており、1ヶ月に1度、週末と、祝日、有給などを利用して3~4日程度休みを取り帰省して、母に面会に行っていました。

その後、2018年8月に会社を辞め、実家のある広島に戻ってからは、毎週面会をする日々になり、それが2020年に日本でコロナが初めて感染が確認される前まで続きました。

思えば、あの頃が一番良かったような気がします。

世の中にコロナという感染症が存在してなかったことはもちろん、母は認知症ではあるものの症状は比較的落ち着いていて、施設の母の部屋で一緒にテレビを見て笑ったり、おしゃべりしたり、お菓子を食べたり、穏やかな時間をすごすことができていました。

両親とも元気だったころには当たり前のことばかりですが、父が亡くなり、母が認知症になった後は、母とすごすそんな当たり前のなんでもない時間が、この上なく大切に感じられたものです。

母のコロナ感染

そんな生活が一変したのが、2020年2月に、ダイヤモンド・プリンセス号の乗客、乗員から新型コロナウイルスの感染が確認されてからです。

4月には全国に緊急事態宣言が出され、マスクが店頭から無くなり、外出を極力控え、毎日テレビのニュースは感染者数の増加ばかり、という状況になりましたよね。

母の施設でも面会はすぐに中止され、母とすごしていたあの穏やかで当たり前の時間もすごすことができなくなりました。

そして、母の施設からもこれまでに何度か感染者が出てしまったのですが、その中で2022年には母も感染してしまいました。

その時の感染者の数は2人だったのですが、そのうちの1人が母だったんです。

入院の際は施設の職員さんが病院まで付き添い、家族は立ち会えず、面会ももちろん禁止。

入院中の母の様子は、病院の担当者から連絡される週に1度の情報のみで、もちろん治療をされているのだから、回復には向かっているのでしょうが、認知力の状態に関しては、入院前と比べてどうなっているかなどは詳しくはわからず不安でした。

そして2週間後に退院が決まり、退院時には付き添うことができたので、医師から母の状態の説明を受けました。

母のレベルは中等症のⅡのレベルだったそうで重症には到っておらず、現時点ではもう心配ないとのことでした。

重症には到らず、現時点では心配ないとのことで身体的に回復したということでは少しは安心したものの、その後、病室から車椅子に乗せられて出てきた母を見て、正直驚きました。

コロナ前に一緒におしゃべりしたり、笑ったりしていた頃の面影は全くなく、娘の私のことは認識できていないくらい無表情だったからです。

母も私もフェイスシールドをしており、私の顔を認識しづらいということもあったのかもしれませんが、私を見てもほとんど無反応だったことにショックを受けました。

ただでさえ体力が低下している、それも認知症の高齢者が、重症の一歩手前の中等症のⅡだったのですから、いくら治療したからといってもそのダメージは大きく、入院前の状態とは違うのは無理もないことなのかもしれません。

また、当然といえば当然なのでしょうけれど、病院は病気を治療する場所で介護する場所ではありません。

なので、施設のような認知症の人に対するきめ細かい対応や声かけは望めず、とにかく病気を治療することが第一です。

もちろん、まずはコロナの治療をしてもらうことが先決なのですが、家族の側からすると、2週間も(施設の職員さんがしてくださっているようなきめ細かい)コミュニケーションや気遣いをされなければ、母の認知症の症状はこんなに進んでしまうのかとかなりショックでした。

こんなことを思ってはいけないことはわかっていましたが、「たった2人の感染者のうち、なんでよりによって母が感染してしまったのか・・・・・」と思わずにはいられませんでした。

退院後の母の変化

退院後も施設での面会は中止されたままで、代わりにビデオ電話ができるようになったのですが、画面越しの母は退院直後の無反応の状態からはいくぶん良くはなっていたものの、入院前に普通に私とおしゃべりできていた時に戻れたわけではありませんでした。

会話のキャッチボール的なコミュニケーションは難しく、私が問いかけると答えることはできるものの、そこからさらに会話を続けるということは難しくなっていました。

施設の面会の状況は、その後も、地域のコロナの感染状況によって、玄関ホールでアクリル板越しの面会が10分だけ許可されたり、それも中止になってビデオ電話に代わったり、という状態が今もずっと続いています。

2020年1月の新型コロナウィルスの発生から4年。

2023年5月に、コロナの感染症の位置づけはそれまでの2類相当からインフルエンザと同じ5類となりました。

若年層や健康上の問題のない人たちにとっては、このタイミングで、それまでの生活スタイルが徐々に戻って来た感はありますが、私の母のような高齢者や持病のある方などは、コロナ前と今とでは状況が大きく変わった方も多いと思います。

母の笑顔

2022年にコロナに罹患し、翌2023年には胃ろう増設術をしたことなどもあり、認知症の症状だけでなく、母の体力も随分低下しました。

母の胃ろうの記事「母、これからも一緒に!」はこちら

今では要介護5となり、寝たきりではないものの、移動は全て車椅子、日常生活での動作はほぼ全てに介護が必要です。

コミュニケーションの機能としては、本人は何かを話しているのですが、はっきりした声にならず、口から空気がスースーと漏れ出ているような感じで、何を言っているか聞き取りにくいような状態です。

「少しでも言っていることがわかれば、母がしてほしいことなどをしてあげられるのに」と、もどかしい思いです。

ただ、こちらの言っていることは理解しているようなので、YES / NOで答えられるように質問すると、「はい」と言ってうなづいたり、「違う」と首を振ったりして意思を伝えてくれます。

そんな中、(昨年末に施設でコロナとインフルエンザの感染者が出たこともあり、今もビデオ電話しかできないのですが)先日、母とビデオ電話をしていた時のことです。

私はスマホ、施設側ではタブレットを通してビデオ電話をしているのですが、母はビデオ電話の概念がわかっていないようで、また、集中力も続かないので、画面越しの私よりも、傍にいる職員さんの方を向いて何か話しかけたりすることが何度かありました。

そんな時、母が職員さんの声かけに反応して笑顔を見せたんです。

それも、短い数分間の間に2度、3度と笑う母。

いやぁ~、ほんとにうれしかったですね~

昨年12月22日に面会した後に、コロナとインフルエンザの感染者が出て面会が中止になっていたので、約1ヶ月ぶりに見た母の笑顔でした。

これまで面会はできなくてもビデオ電話ができて、画面越しに母の様子は確認できていたのですが、今回は施設側の諸事情で、1ヶ月もの間、面会もビデオ電話もできず母の様子を自分の目で確認できていませんでした。

唯一、時々ラインで施設に母の様子を確認することくらいしかできず、こんなに長い間母の様子を目にすることができないことはなかったので、正直、心配だったんですよね。

体力の低下も心配でしたが、認知機能の衰え、特に喜怒哀楽の表現も段々乏しくなってきているので、そのことも進んでいないか心配でした。

なので、母があんな風に笑顔を見せてくれたこと、ほんとうに安心したしうれしかったですね~

さらに、その次にビデオ電話をした時には、いつもだと小さくて聞き取りづらい母の声も、それまでにないくらいはっきり聞き取れたんです。

これも、うれしかったですね~

「今日は声がよく出ているね!」と言うと、職員さん曰く、「ビデオ電話の直前までホールで他の入居者の皆さんと一緒に歌を聞いていたんですよ」とのことで、そのせいもあって気分が良かったよう。

「知っている歌があった?一緒に歌ったの?」と聞くと、うなずく母。

職員さんの声かけに笑顔を見せ、好きな歌を口ずさむ母。

たったこれだけの母の行動が、私を満ち足りた気持ちにしてくれました。

前を向いて!

今後のコロナやインフルエンザの感染状況、それによる施設の面会の可否がどうなるかわかりません。

世間ではコロナ前の生活が戻りつつありますが、少なくとも母の施設では、コロナ前のように自由に面会できる状態に戻るのはおそらく難しいだろうと感じています。

そういうこともあり、最近、「あとどのくらい母と接することができるのか?」さらに「母とのお別れの時はいつなんだろう?、もうすぐそこまで来ているのか?、またはもうしばらく先なのか?」夜になるとそういうことをよく考えます。

この先、認知症がさらに進んで私のこともわからなくなってしまっても、(それはそれで娘としては切なく悲しいことですが)「残された日々を、穏やかで、あの時見たような笑顔で笑ってすごしてほしい」と毎晩祈っています。

母が認知症になったり、コロナに感染したりして、段々弱っていくのを見るのは悲しいことですが、母が元気なままだと母に対してこんな気持ちになることはなかったように思います。

そう考えると、悪いことばかりじゃないのかもしれません。

そう!思い出しました。

自分で書いた先日の記事「ドラマ「フィクサー」を見て、ドキューンとやられた言葉」のこと。

自分でコントロールできないことは思い悩んでもどうしようもないのです。

今私が母にできることを悔いなくやっていくしかありません。

そして、私の母はいつも私の決めたことを尊重して、好きなようにやらせてくれました。

今の自分があるのは、どんな時でも母が応援してくれていたからだと思っています。

母は、私にとって強く優しい人です。

きっと今も、「自分の思うようにやりなさい」と彼女なら言うはず。

前を向いていきましょう!