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母、声出して笑う

私の母は認知症で有料老人ホームに入居しています。

入居してから今年で7年目、早いです。

ガラス越しの面会再開

コロナの前までは普通に面会できていたのですが、コロナ感染が始まってから今までの3年間は、施設の地域の感染状況によって、面会が中止されたり、フィルム越しの面会のみ再開されたりの繰り返しです。

昨年秋くらいから感染者数の増加により、また面会が中止されていたのですが、12月よりガラス越しの面会が再開されました。

ガラス越しの面会といっても、厳密には窓ガラス越し、つまり、母は建物の中、私は建物の外から面会する形です。

こうすればかろうじて面会もでき感染のリスクもかなり軽減できるので、施設側も苦肉の策なんでしょう。

ですが、なにせ建物の内側と外側なので、それなりに大きな声で話さないとお互いの声が聞こえないわけです。

当然、母はそんなに大きな声は出せないので、職員さんが横について母の言ったことを大きな声で代わりにしゃべってくれる、というスタイルの面会です。

まぁ、母の顔や体全体の様子が見られるのはいいのですが、母の声はほとんど聞こえないので、どの程度の声が出ているのかちょっと心配でした。

ツボにはまって大笑い

そんな中、先日雨の日に面会に行ったときのこと、職員さんが「(いつものガラス越しの面会だと、私が傘をさしたままになるので)今日は建物のエントランスまで入って、フィルム越しに面会してください」と配慮してくれました。

フィルム越しだとお互いの声が聞こえるので、職員さんはつかず、母と私だけでお話しできます。

職員さんがいるとできない話、というわけでもないのですが、(ちょっとプライベートな内容で)認知症とはいえ母の母たる自覚を呼び起こすために、こんなことを母に言ってみました。

「ママが死んだら、私は家族がいなくなって独りになってしまうから、なるべく長生きしてくれんと困るんよ。」

「ママは一応私の母親なんだから、親として私のことが心配でしょ?」

と何がなんでも、心配だと言わさんばかりのかなりの強引モードで(笑)。

そうすると、母は自分が死んだら私が独りになるということが一瞬理解できずに、キョトンとしたのですが、「長生きしてくれないと困る」とか「母親なんだから、娘の私のことを心配しなさいよ」的な私の強引な物言いがツボにはまったらしく、次の瞬間、声を出して笑い始めました。

そんな母に、「笑い事じゃないよ。ホントに困るんだから。頼みますよ」と私もつられてもらい笑い。

たったこれだけの会話で、この後1分くらい、二人で笑い続けていたように思います。

認知症が進むにつれて喜怒哀楽の表現があいまいになってきて、にっこり笑うことはあっても、こんなふうに母が声を上げて笑うことなんてないだろうと勝手に思っていた私。

また、コロナ前まではテレビのお笑い番組を見て笑ったりしていたのですが、コロナから3年たって認知力もそれなりに衰えてきて「ちょっとした冗談も、もうわからなくなってきているのでは・・・・」と思っていました。

ですが、そんな私の予想を母は見事に裏切り、娘の私だからズバズバ言える強引な冗談のツボを、母はまだまだ理解しているようです。

ちょっと、いや、かなりホッとしました。

そして、とてもうれしかったです。

冗談が理解できる認知力がまだあるということだけでなく、同じ話題で笑いあえることが、なんだか母と通じ合えている気がして。

気づき

思えば、母はちょっと天然のところがあって、元気な頃もいろんな話をしては二人でケラケラ笑うことがよくありました。

あの頃はそんなことは当たり前すぎてなんとも思っていませんでしたが、今は、母が声を出して笑うことがこんなにも貴重なことだとしみじみと感じます。

母があんなふうに楽しそうに笑ってくれたことだけで、その日は本当に幸せで満たされた気持ちになりました。

それは、私にとってひとつの大きな気づきでした。

「こんな風に母と笑いあえる時間を過ごすことができれば、他に欲しいものなんて何もないなぁ」ということ。

変な話ですが、もし母が元気だったらこんな気づきはなかったでしょう。

母が認知症になってしまったことは悲しいことではあるのですが、認知症になってしまったからこそ、見えてくるものもあるんだなぁと感じます。

大切なことって、当たり前の日常の中にあったりするんですね。

60年も生きてきて初めて感じた、大切な気づきです。

認知症の進行、体力の低下、これから先母にいつ何があってもおかしくないと、自分に言い聞かせると同時に、それでも残された時間をできるだけ心穏やかに優しい笑顔で過ごしてほしいと願うばかりです。

そしてそれは今の私にとっても、最も大切なことなのですから。