私には姪と甥がそれぞれ一人ずついます。
姪は昨年3月、甥は今年の1月にそれぞれ結婚しました。
自分自身の家族というものを持っていない、いわゆるシングルの私にとっては、彼らは特別でなんとも説明しがたい、大切な存在です。
二人ともあんなに小さかったのに、いつのまにかすっかり大人になり、結婚という私が経験していない人生の節目を迎えたこと、なんだか不思議な気がしています。
甥っ子に無事女の子が誕生
そんな彼らなんですが、甥っ子の方はいわゆるできちゃった婚です。
甥っ子の結婚の記事「姪っ子に続き甥っ子も『寿』!」はこちら
予定日は5月末だったのですが、5月に入り逆子だということがわかり、ちょっと早めに帝王切開で5月13日に無事女の子が生まれました。
その日のうちに、甥っ子からラインが届き、「無事生まれました」と。
結婚したとはいえ、まだまだ危なっかしいヤツだと思っていましたが、本人曰く「とりあえず可愛くて仕方ないです!」と言っておりました。
それから数日間は、毎日のように写真を送ってきて、本当に可愛くて仕方ないらしい(笑)
最近は少し顔も落ち着いてきて、「くっきり二重瞼の目がかわいくて、美人さんになりそうじゃない?」と言ったら、「その言葉、待ってました!」と言わんばかりに「ほんま!美人間違いなしよ!」と、早くも親ばか丸出しの我が甥っ子です(笑)
最近では、「みてね」という家族で写真や動画を共有できるアプリをインストールするように言ってきて、「日々更新するから、ここから見てね」とのこと。
甥っ子の子どもは何と呼ぶ?
彼女にとって私は大伯母になるのですが、私にとっての彼女はどういう呼び方になるのか?、ChatGPTに聞いてみました。
答えは、このとおり。

今回の場合は甥の子どもなので、通常の呼び方だと「大甥」というみたいですね。
ですが、「大」という字がつくと、なんだかシニア?年配?の人を想像して、全然ピンと来ません。
それに、「大甥」という漢字と言い方は、女の子、それも生まれて間もない小さな赤ちゃんとは全く真逆の人間、例えば「ガタイのいいおっさん」的なイメージが浮かんでしまいます(笑)
わかりやすい言い方としては、「姪孫(てっそん)」という言い方もあるようで、これはこれで堅苦しい。
なんだか明治の文豪でこういう名前の人いましたよね。
与謝野鉄幹(てっかん)みたいな?(笑)
または「又甥」とも言うらしく、これまた小さい子どもには似つかわしくない全く可愛げのない呼び方ですなぁ。
「大甥が生まれました」って言うと、なんだか「どんな大男?」みたいに受け取られそうだし。
「姪孫(てっそん)が生まれました」って言うと、「一体何が生まれたのか?」と驚かれそう。
「又甥(またおい)が生まれました」だと、一応想像はつきそうだけど、これまたなんとも味気ない言い方。
なんか、もうちょっとかわいらしい言い方はないものか?
先のChatGPT曰く、
家族的なニュアンスでは:
日常会話では「姪の子ども」「甥の子ども」と言ってしまうことが多く、特別な呼び方はあまり使われないこともあります。
ということなので、結局そのままずばり「甥の子ども」が一番自然ですね(笑)
姪っ子が生まれた時のエピソード
甥っ子家族は沖縄に住んでいるので、すぐには会えないのですが、彼が送ってきてくれた写真を見ているだけでもなんだかほっこり幸せな気持ちになります。
冒頭に書いたように、私はシングルで子どもはいないので、特に姪っ子が生まれて始めて赤ちゃんの彼女を抱っこした時に、すごく驚いたのを覚えています。
私に抱っこされた赤ちゃんの彼女は、しばらくして、私の腕の中ですやすやと眠り始めたんです。
私、このことにすごく驚いてしまって。
「何にそんなに驚くの?」と思いますよね。
彼女にしてみれば、眠かったから寝ただけなんですけどね。
その時の記事「28歳になった姪っ子から届いた結婚式の招待状」はこちら
今思えば、当時の30代の私は会社での立場とか責任や、周りからのプレッシャーに押しつぶされないように、必死で突っ張っていて、仲の良い同僚以外の仕事の関係者には、無意識のうちにガードを張っていたような気がします。
当時の東京での会社員生活では、仕事量や忙しさもさることながら、苦手な先輩と一緒にペアを組んで仕事をしていました。
その先輩は決して意地悪というわけではなかったのですが、私よりも経験も知識もある彼女は時折上から目線的な態度や物言いもあったりして、精神的にしんどいことも多かったように思います。
ですが、元々負けず嫌いの私は、その先輩にミスを指摘されないよう、弱みを見せないように常に気を張っていて、時には戦闘モードで対立することもありました。
なので、仕事上では常に気を張っていたし、(仲の良い同僚以外は)誰かを無条件に信用するなんてとてもできなかったんですよね。
そんな精神的にいっぱいいっぱいでキリキリしていた私を1ミリも疑うことなく、全身をあずけてすやすや眠る彼女に本当に驚いたというか、今まで出会ったことのない人に出会ったというか、とにかく本当にびっくりしたんです。
私ができなかった、相手を無条件に信じるという行為をいとも簡単にしかも当たり前のようにやる彼女、本当に衝撃でした。
彼女の未来は?
まぁ、今思えば量的にも能力的にもキャパオーバー気味だったのかもしれません。
30代という少しずつ責任ある仕事を任せられる年代だからこそのプレッシャーも、それなりに感じていたんでしょうなぁ。
ですが、今はそんな会社員生活からも解放され、ゆる~くマイペースで生きております。
なので、あの頃とは違って、大甥?、姪孫?、又甥?、いや「甥の子ども」を抱っこしても、今なら自然に笑顔になって嬉しさがこみあげてくると思います。
ほんと、赤ちゃんて不思議な力があるんですよね~
思い起こせば、彼女は(父親の)甥が生まれて以来、私たちのところに25年ぶりにやってきてくれた赤ちゃんです。
どんな未来が彼女には待っているんでしょう?
いくつになっても、人生楽しみましょうぞ!
と、ここでふと思い出したことがあります。
我が家の応接間(昭和ですなぁ)には、昔母が買ったと思われる、名作と言われる古い映画のBGM、サウンドトラックっていうんですかね?、そういうLPのレコードがシリーズで揃っています。
母がそれを聞いていた姿を見たことがありませんが(笑)
他には古~いレコードもあったりして、なんと梓みちよさんの「こんにちは 赤ちゃん(注!音声が発生します)」のレコードもあるんです。
これは、私が生まれた次の年の1963年にリリースされた曲で、「新米ママだった母はまさに『こんにちは、赤ちゃん』という思いで、このレコードを買ったんだろうなぁ」なんて思ったりします。
私も母にそんな風に思われてこの世に生まれてきたのかと思うと、なんだか少しこそばゆい思いです。
ですが、私たちはみんな、そうやって生まれて、両親やまわりの大人に大切に育てられてきたんですよね~
そう考えると、生まれたばかりの彼女と比べると、63年も人生の先輩である私は先がやや見え始めてきた感が否めませんが(苦笑)、それでもまだこの先どんな未来が待っているか、少し楽しみになってきました。
生まれたばかりのピカピカの赤ちゃんの彼女には彼女の、63歳のくたびれたおばさんの私にもそれなりの未来が待っているはず。
いくつになっても、人生を楽しみたいものです。