先日「ボクらの時代」というトーク番組に小泉今日子さんが出ていて、何気なく見ていたら、「恋愛対象の代わりになるのは、推しかペットらしい」と言ってました。
前後の文脈を少し詳しく説明すると、年とともに恋愛からはめっきり遠ざかっているけれど、その代わりに、推しとペットに傾倒するという内容でした。
「推し」と「ペット」
なるほど、「恋」の代わりが「推し」と「ペット」ねぇ・・・
まず「恋」ですが、確かに、この年になると生活の中で最も遠いところ(たぶんほとんど手の届かないはるか遠く)にあるのが恋愛ですね。
納得。
私の場合も見事にあてはまります(笑)。
そしてその代わりになるのが、「推し」と「ペット」ということらしいのですが、それらについても自分の場合を考えてみたところ、これといって特別「推し」もいないし「ペット」も飼ってない。
ですが、無理やり「推し」と「ペット」について考えてみることにします(笑)。
「推し」
そもそも「推し」とは、推薦という言葉があるように、他の人にもすすめたいほど好意を持っている、また、相手に認識されなくても応援していたい気持ちがあることを「推し」というようです。
なるほど・・・・
そんな風に思えるほどの対象が私にいるかどうか、しばらく考えてみて、最近私の心を動かしたのが、高校野球夏の甲子園、準優勝の下関国際の仲井慎選手。
ちょっとマニアックすぎますかね(笑)。
プロ野球には全くと言っていいほど興味のない私ですが、高校野球、特に夏の甲子園はつい見てしまいます。
その中で強烈に印象に残ったのが、今大会準優勝の下関国際の仲井慎選手。
大阪桐蔭と近江との試合を見ていたのですが、18歳、高校生とは思えない、ピンチに立ち向かっていく時の彼の気持ちの強さ、スゴイです!
そしてバッターを打ち取った時の彼の気合のこもった表情、テレビの画面越しにも十分その熱が伝わってきます。
残念ながら決勝では負けてしましましたが、甲子園が終わっても仲井選手の情報をネットやユーチューブで探したりして(苦笑)。
U18 ワールドカップ日本代表にも選ばれているネットニュースを見た時、思わず声を出して拍手してしまいました。
(なんですが、後日、体調不良でメンバーからはずれることになったようです。残念。)
そんなわけで、まぁ「推し」といえばいえなくもないのですが、どちらかというと、親戚の甥っ子を応援するおばちゃんのような気持ちの方が近いです(笑)。
「ペット」
そしてペット。
私はペットは飼っていないのですが、動物に対する愛情という意味でいえば、乗馬を始めた影響で馬がかわいいと思うようになりました。
上のクラスの駈歩(かけあし・乗馬の歩様の種類)のレッスンに進むと、同じ馬で練習する方が上達が早いので同じ馬で練習しています。
で、いつも私が乗ってるのが「ヘレナ」という牝馬。
最初はなかなか上手くいかなかったのですが、最近では、少しづつ私の指示どおりに走ってくれるようになってきて、私の指示に彼女が素直に反応して走ってくれることに快感を感じるようになってきました。
また、最近、顔をすり寄せてくる動作をよくするようになって、「ヘレナも私に慣れてきて、少しは信頼関係が築けているのかなぁ」とちょっとうれしく思ってました。
そんなある日、乗馬に関するユーチューブを見ていたら、「馬が人に顔をすり寄せてくるのはなぜか?」みたいな動画があったので見てみたんです。
当然私は馬もその人に慣れているからすり寄せてくるのだと思っていたら、なんと、「顔がかゆいのだが自分ではかけないので、人に顔をすりつけてかいている」というのですよ!
さらに極めつけは、その人に親しみを感じているというよりは、人というより「かくための道具=モノ」としてみている、と!
えぇ~?
信頼関係どころか、人として見られていないってこと?
それもかゆいところをかくための道具?
私は、彼女の「孫の手」ってこと?
ショック!
てっきり、彼女も私に慣れてきてくれたと思っていたのに・・・・
いや、たとえかゆくて顔をすり寄せているとしてもそれとは別に、ヘレナも少しは私に慣れてきてくれているに違いない!
その証拠に、私の指示に反応して、駈歩が以前より長くスムーズにできるようになってきてるんですから!
と、意地でもヘレナとの間に信頼関係を築きつつあると認めたい私です(笑)。
それでも心地よい日々
というわけで、「推し」は親戚のおばちゃん目線、「ペット」は私が一方的に愛着を感じているだけかもしれない?、というイマイチなゆるーい感じ、ましてや「恋愛」とはまるで縁がない平凡な日々(苦笑)。
ですが、好いた惚れたの特別な刺激がなくても、親戚のおばちゃんとしての「推し」や一方的に愛着を感じているだけの「ペット(?)」がいるだけで、それなりに心地よい毎日を過ごせたりするわけです。
これって、年をとったということなのかしらん?
もしそうだとしたら、年をとるのもそれほど悪くないと思う今日この頃です。