益田ミリさんの「キュンとしちゃだめですか?」を読みました。
「キュン」の症状とは
益田ミリさんいわく、
「胸がドキッとする。
ハッとして開いた口がふさがらない。
口元がにやけてしまう。
なぜか目が離せない。顔がほころぶ。
そんな症状を「キュン」といいます。」(以上引用)
だそうです。
正直、私の「キュン」とはちょっと違う部分もあります。
例えば、「ハッとして開いた口がふさがらない。」
「開いた口がふさがらない。」って、普通あきれた時に使うような気がしてちょっとネガティブな印象を受けます。
ただ、気になって調べてみると、驚いた時に使われて、悪い場合だけでなく良い場合にも使われるそうです。
もうひとつは、「口元がにやけてしまう。」
これもちょっと違和感あり。
私の「キュン」は瞬間的な感じで、何かを見たり聞いたり感じたりした瞬間に心が「キュン」となる感じ。
その後にそのキュンの衝撃を受けて、心がじわじわと何かしら変化していく経過は、私の場合「キュン」には含まれていないんですよね。
その心が動く時間的な経緯は、強いていえば、「きゅぅん」でしょうか。
カタカナでなくひらがな、そして小さい「ぅ」が入ることで少しだけ時間的な経過があります。
一方でカタカナで表した「キュン」は、瞬間的な感じがしませんか?
あと、「キュン」には、何かしら切ない気持ちがそこにある感じ。
「口元がにやける」というのは、何かを感じて、その後口の筋肉に動きが生じている、つまり瞬間的な感じじゃないこと、それと、切ない気持ちが感じられなくて、あまり「キュン」という形容詞(じゃないけど)に結びつかないんですよね。
私のキュンは、切なくなる心の瞬間にフォーカスしているけど、益田ミリさんのキュンは、切なさ+α、その後の心の動きまで含めているといった感じなのかな?
そんな感じで、益田ミリさんの「キュン」とは少し異なりつつも、いくつか共感できる「キュン」の場面がありました。
ドアを押さえててくれてキュン
コンビニで買い物をした益田さんが店を出ようとした時に、入ってくる男子中学生。
その店は自動ドアではなく、益田さんは彼が入ってくるのを待って、その後に店を出たのですが、なんとその男子中学生が、益田さんのためにドアを片手で止めて開けておいてくれたそうなんです。
いいですね~。
しかも相手が中学生っていうのが、なんともよい。
益田さんはこの著書の頃40代かと思われ、きっと実年齢よりもお若く見えると思いますが、中学生にしてみればお母さんに近い世代。
そんなお母さんに近い大人の女性のために、ドアを押さえてくれる男子中学生って!
ただ私の場合、よく考えると、「キュン」というより、「息子がいたらこんな息子に育って欲しい!」という感覚の方が近いかも(笑)。
「きっと、ご両親の育て方がすばらしいのだわ」とか、「彼のお父さんも自然にそうしているのを見て育ったのだわ」とか、そっちの感情。
どんな青年になるのか、他人事ながら楽しみです。
彼の成長を遠くからずっと見ていたい。
って、なんか違う方向に行っちゃいましたね(笑)。
と、ここまでは益田さんの思いと同じなのですが、益田さんの「キュン」は、ここからなのです。
益田ミリさんの「キュン」
「この中学生、今はパッとしない風貌だけど大人になってしまえば中学・高校の頃のかっこよさなどより、やさしい人柄がモテるのだ。これから彼に出会って恋する女の子たち、彼を想って苦しくて泣いたりする夜があるなんてうらやましい。そういう彼らの未来全部にキュンとする。」とおっしゃっています。
そして、自分にはもうそんなフレッシュな恋はやって来ない、と切ない気持ちで家路に着いたそうです。
なるほど、そういうことか・・・。
私の場合は、すっかり親戚か近所のおばちゃん目線で終わってるのですが、益田さんの場合は彼を見て自分の将来にも目線を移してるんですねぇ。
自分にはもうあんな甘酸っぱい恋はないだろうと。
これは、私と益田さんの年齢の違いなんでしょうかね。
フレッシュな恋どころか、ふつうの恋愛自体、もう私の視野にはないというか、現役ではないというか(苦笑)。
おばちゃんが保証する!
いずれにしても、いいシーンですよね。
あんまりパッとしないふっつうの男子中学生が、大人の女性のためにドアを押さえてくれてるのって。
きっと彼はいい青年になるはず!
おばちゃんが保証する!
って、見ず知らずのおばちゃんに保証されても困るか(笑)。