先日、初めて市役所で戸籍謄本をとりました。
もちろん戸籍謄本がどういうものかは知っていましたが、61年生きてきてこれまで現物を見たことはありませんでした。
私は結婚していないので、父が筆頭者、続いて母、そして長女として私の名前が記載されています。
そして、それぞれに「身分事項」と言う項目があり、出生、婚姻、死亡などの情報が記されています。
父の身分事項
父の身分事項には、出生、婚姻、死亡の他に、養子縁組という項目がありました。
そういえば、昔まだ小学生の低学年だった頃、父が子どもの頃養子になったということを聞いたことがありました。
(戸籍謄本の記載内容によると、12歳の時に養子になったようです)
なので実は、今の私の姓は養子先の家の姓で、父の本来の姓ではありません。
で、もともと父の出生地は福岡なのですが、その養子先はなんと岐阜県。
そしてその住所は昔の表記のままなのか、ほとんど漢字ばかりで最後は「・・・・大字○○番地」みたいな住所。
岐阜県ていうだけでもまったく土地勘がないのに、このいかにも昭和初期っぽい表記の住所でさらに「いったいどんなところなんだろう?」という純粋な好奇心が湧いてきます。
そういえば、昔、父がなぜか岐阜に一人で旅行に行ったことがあり、その時「なんで岐阜なんかに行くんだろう?それも一人で?」と不思議に思ったことがあったのですが、今思えば、そういうことだったんですね。
母の身分事項
母の身分事項の記録は、出生、婚姻、配偶者の死亡です。
事項としてはごく普通なのですが、ちょっと違うのは、出生地が「朝鮮」、そしてなんて読むのかわからないこれまた漢字だけの住所。
母は子どもの頃朝鮮半島に住んでいて、戦後日本に引き揚げてきたことは聞いたことがあったのですが、生まれたのも朝鮮半島だったということは知りませんでした。
漢字ばかりでなんと読むのかすらもわからないその住所から、なんとも言えない異国感が漂ってきて、ここに子どもの頃の母が住んでいたのかと思うとすごく不思議な感じがします。
なぜ母の両親(祖父母)が朝鮮半島に渡ったのかということまでは知らないのですが、1910年から1945年まで日本は朝鮮半島を植民地化していて、私の祖父は軍医だったらしく、そのことが関係しているのかもしれません。
朝鮮半島では裕福な暮らしをしていたようで、母曰く、家にはやさしい乳母が2人?いて、母のお兄さんは自分専用の馬に乗って家のまわりや野山を駆けまわっていたと、何回か聞いたことがあります。
馬は男の子だけで女の子の母には与えられなかったらしく、そのことを言っている時の母はちょっと悔しそうにも見えました。
幼い少女だった母、自分も馬に乗って野山を駆けまわりたかったんでしょうかねぇ・・・・
私の知らない彼らの人生
私にとって彼らは父と母なので、当然ですが、私の父と母になってからの彼らのことしか知りません。
ですが、彼らにも私の親になるまでの人生があったんですよね・・・・
12歳で養子に出された父、全く知らない土地、全く知らない大人の家で暮らさなければならなかった思春期の少年はどんな思いだったんでしょう・・・・
そしてそこでどんな生活を送っていたんでしょう・・・・
その後(おそらく大人になってから?)、生まれ故郷の福岡で暮らしていたようなのですが、岐阜から福岡にいつどういう経緯で戻ったのかについては全く知りません。
一方、異国で生まれ、まだ幼い少女の時に敗戦となり、海を渡って日本に帰国した母。
日本に帰国する時には祖父は亡くなっており、祖母が母たち幼い兄弟4人を連れて海を渡ったそうです。
そして日本では福岡に祖父方?の親戚がいたらしく、その親戚を頼って暮らしていたと聞いています。
福岡での暮らしのことはあまり聞いたことがないのですが、「その親戚のおじさんは口数が少なくいつも怖い顔をしていて、怒られたりするわけではないのだけれどものすごく怖かった」ということだけ聞いた記憶があります。
ほんとに怖かったんでしょうね。
敗戦後、日本に帰国した時の母はまだ8歳。
たった8歳の少女が、命からがら海を渡り、それまでの裕福な生活からおそらく(それと比べると)肩身の狭い生活を送ることになったわけです。
どんな少女時代だったのでしょう・・・・
長い旅が・・・
父も母も私とは異なる姓を名乗り、父は生まれて12歳まで過ごした福岡から遠く離れた全く知らない町の養父に引き取られ、母にいたっては異国で生まれ育っていたわけです。
それは、私が全く知らない彼らの人生です。
幼くして自分の意思とは関係ないところで時代の波に翻弄され、私には想像もつかない時代を生きてきた二人。
その後二人は福岡で出会い、結婚、私がこの世に誕生することになります。
その後も娘の私が知らないだけで、おそらく、曲がりくねったり坂道を上ったり下ったり、時には転んだりしながら長い道のりをずっと歩き続けてきた二人。
始まりは戸籍謄本に記された二人のそれぞれの住所、そこからなんと長い長い旅を続けてきたんでしょう・・・・
「いつのまにかこんなに遠くまで来てしもうたよ」二人ともそう思っているかもしれません。
そして8年前に父は亡くなり、その長い旅は終わりました。
母もそう遠くない将来、その長い旅路を終えることになるでしょう。
そう思うと、娘の私が言うのも妙なものですが、「本当に長い間お疲れ様でした。よくがんばりました!」と二人を褒めてあげたい思いです。
広島で暮らしていた我が家は核家族だったし、唯一の祖母(母方)は福岡で離れて暮らしていたので、正直、子どもの頃から祖先のこととか身近に感じたことはほとんどなかったのですが、今回のことで、自分のルーツみたいなものを考えるきっかけになりました。
そして、私の知らない幼い頃の父と母が育った場所を見てみたいなぁと思ったりします。
あ、でも、父の岐阜県は問題ないけど、母の方は韓国だったら大丈夫だけど北朝鮮だと無理ですね(苦笑)